Monday, February 28, 2011

ゆっくり歩く

ここ最近、朝デイケアにエリックを連れて行くのは私の役目になっている。
朝ごはんを食べて、歯磨きをして着替えをして・・・とそんなに大変なことではないのに、やたら時間がかかる。朝ごはんを食べる間はいろんなことをああだこうだとしゃべり、しゃべっているから夫と私が食べ終えた時点で、まだたくさん残っている。朝ごはんから出かけるまで1時間でできるよう、目下、訓練中。

それから、デイケアまでの道を歩いていくのだけれど、エリックはすぐにいろんなものに気を取られたり、立ち止まったり・・・と進まない。工事中の道路をのぞいてみたり、建設中の建物を眺めてみたり、トレイラートラックをじっと見ていたり、水たまりで止まったり、氷の上を歩いてみたり、石を拾ってみたり・・・、まあ、よくここまでいろんなものに興味がもてるわね! というくらい、いろんなものに気を取られて足が止まる。私ひとりなら10分以内で歩けるけれど、エリックとだと30分ほどかかってしまうこともある。これって、私には驚きだ。私とはまったく違う世界観をもち、「退屈」と感じるものがない。

以前、ストリートカーに乗ったエリックは目を大きく見開いて、すべてを見逃さないようにじいっと見つめていた。私の言葉も耳に入らないかのごとくに。こういうときは、黙っておくのがいちばん。エリックの隣で、エリックがどんなふうに周囲を感じているかを想像してみようとした。そうすると、いつも見なれていると思っていた風景が突然動き出したように感じ、その体験にはっと胸をつかれた。

ゆっくり歩かせてあげよう。急いで歩く必要のない日は、思う存分ゆっくり歩かせてあげよう。

同じ世界に暮らしながらも、私たちとは違った目で、感覚で、周囲を感じとっている子どもたち。そう考えると、私たちが彼らから学べることがたくさんあるってのは当然のことのように思えてくる。

子どもの歩き方

先日、デイケアで他の子どもたちを何気なく眺めていると、あることに気付いた。
それぞれの子どもにそれぞれの歩き方がある!
床をどんどん踏みしめるように歩く子もいれば、ふらふら身体の体重を左右にかけながら歩く子もいる。ゆっくり、きょろきょろしながら歩く子もいれば、一方へ向かって突進する子もいる。その様子から、その子たちの性格まで伝わってくるようだと思った。

エリックはというと、小さいころから爪先立ちで歩いていたし、今もそんな歩き方をしている。歩いているというより、小走りしているみたい。ただし、知らない人たちのなかへ入ったときのエリックはゆっくり、のっそりと歩いている。歩き方と精神状況には関係があるってことなんだと思う。

Friday, February 25, 2011

お手伝い

「子どもはお手伝いが好きなのよ」と妹に言われたことがあるが、本当だ。最近、どんなお手伝いをしているだろうか・・・。

(朝ごはん)
アーモンドを5個ずつテーブルの上に置く
サプリメント容器のふたをあけて、私と夫に1つずつ
棚からレーズンの缶を探して、テーブルに運ぶ
冷蔵庫からジュースとライスミルクを出して、テーブルにはこぶ
引き出しからスプーンを3本出して、それぞれテーブルに置く

(その他)
毎朝、新聞をテーブルの上に置く
鉢植えの植物に水をやる(「マミイ! またこぼれたよ!」・・・)
リサイクルのペーパー類をリサイクル・コーナーに持っていく
ペーパー類とプラスティック類をわける
できあがった洗濯物からソックスのペアをあわせる

(晩ごはん)
お皿やグラス、カトラリーをテーブルにもっていく
できたお料理をテーブルに運ぶ
食べたお皿をキッチンへ運ぶ

ときどき、こぼしたり、失敗したりもしながら、私に「頼られてる」と思えるのがうれしいみたいで、「マミイ、エリちゃんが手伝ったから、助かったね。ありがと言って」なんて言ったりする。ぎゅっとハグして「ありがとうね!」と言うと、「いいえ、マミちゃん、ありがと」と爪先立ちで、ヒラリ飛ぶようにリビングに行ってしまうのであった・・・。

Thursday, February 24, 2011

“Children Learn What They Live” by Dorothy L. Noltes

カナダでは非常によく知られた詩、親として読んだときにはっとさせられる詩が、エリックのお医者さまのクリニックにもかかっていた。なんだかとっても身につまされる・・・。(英語に続いて拙訳を入れます)

If children live with criticism, they learn to condemn.
If children live with hostility, they learn to fight.
If children live with fear, they learn to be apprehensive.
If children live with pity, they learn to feel sorry for themselves.
If children live with ridicule, they learn to be shy.
If children live with jealousy, they learn what envy is.
If children live with shame, they learn to feel guilgy.
If children live with tolerance, they learn to be patient.
If children live with encouragement, they learn to be confident.
If children live with praise, they learn to appreciate.
If children live with approval, they learn to like themselves.
If children live with acceptance, they learn to find love in the world.
If children live with recognition, they learn to have a goal.
If children live with sharing, they learn to be generous.
If children live with honesty and fairness, they learn what truth and justice are.
If children live with security, they learn to have faith in themselves and those around them.
If children live with friendliness, they learn that the world is a nice place in which to live.
If children live with serenity, they learn to have a peace of mind.
With what are your children living?

批判とともに育った子は、他を批判するようになる
敵意とともに育った子は、けんかをするようになる
恐れとともに育った子は、不安を感じるようになる
憐憫とともに育った子は、自己憐憫を感じるようになる
馬鹿にされて育った子は、おどおどするようになる
嫉妬とともに育った子は、ねたみを持つようになる
恥とともに育った子は、罪悪感にさいなまれるようになる
寛容性とともに育った子は、忍耐を身につけることができる
励まされて育った子は、自信を身につけることができる
褒められて育った子は、感謝できるようになる
好意とともに育った子は、自分のことが好きになれる
受け入れられて育った子は、世界がすばらしいところだと思えるようになる
認められて育った子は、目標を持てるようになる
共有とともに育った子は、寛大な人になれる
誠実さとともに育った子は、真実と正義が何かを学ぶことができる
安心感を感じて育った子は、自分と周りの人たちを信じることができる
親しい人たちとともに育った子は、世界がすてきなところだと信じることができる
平穏のなかで育った子どもは、こころの静けさを持つことができる
あなたの子どもは、どんな場所に育っていますか?

1本と1人

昨日ひとりで遊んでいるとき、こう言った。
「いま、エリちゃんはどうぶつといっしょにくるまをうんてんしてるの。あ、でも、1本のひとがいないね。エリちゃんのわんわんがいないね」

1本の人?
1本、1個、1枚、1つ、1人・・・、日本語の数量詞ってほんとうに複雑。使って慣れるしかないものね。

Tuesday, February 22, 2011

擬声語ってそんなにおかしいの?

先日、雪が溶けて、氷になった場所を通りながら、「わあ、ここはツルツルだね」と言うと、エリックが大笑いし始めた。「ツルツル」がよほどおかしかったらしい。他にも、「ミシミシ」とか「しゃらしゃら」とか「ぷくぷく」、「パリパリ」「そろりそろり」「きゅるきゅる」といった擬声語に非常に反応を示す。私はどうもよくこういう擬声語を使っているようで、笑われるたびに何がそんなにおかしいのかと不思議に思うのだが、きっとその音そのものの繰り返しが子どもにはおかしいのだろう。「きゅるきゅる、なに、それ? へんなの~」といいながらも、自分でも繰り返している。ときどき、エレベーターのドアがあくのを見て、「マミイ、これはきゅるきゅるだね」と間違った使い方もしているんだけれど。

ちなみに、夫は私の使う擬声語の種類の多さに非常に驚く。このへんの感覚ってのは、やっぱり日本語の語感に深く接してこそわかるのかもしれない。いろんな擬声語を教えよう。そして、日本語の語感を養ってもらおう・・・。

擬声語(ぎせいご)・・・ 擬音語(ものの音を表す表現:さわさわ、など)と擬態語(心や体の状態や感情などを表す表現:くらくら、どきどき)の総称

Saturday, February 19, 2011

日本語を話さない②(3歳7ヶ月) bits Magazine 連載コラム

1日の会話が英語99%、日本語1%となったエリック(現在3歳6ヶ月)。私が日本語で言ったことは理解しているけれど、いつも英語で返してくる。そのことが気になっていた私を驚愕させる事件が数日前に起こった。

今まで「日本語で話してね」に対し、”I don’t know にほんご”と言っていたエリックだが、ちょっと無理して私の日本語を繰り返させると、それは非常にたどたどしく、その発音は日本語とは思えないものになっていた! 正直言って、このときばかりは、問題の大きさを認識した。聞けば分かるけれど、自分では話せないバイリンガルをpassive bilingualと呼ぶが、エリックも今、まさにpassive bilingualの道を辿りつつあることに気付いてはっとした。

コラムを読まれた方々、デイケアのスタッフから次のようなご指摘をいただいたので、ここで共有してみたいと思う。
・「お母さんは英語がわからない」を貫き通し、英語には絶対に反応しない
・日本語プレイグループなどに積極的に参加し、日本語で話せる友達をつくってあげる
・日本語のテレビ番組や映画などを見せて、日本語の世界の広がりを感じさせてあげる
最初の1点に関して言えば、「英語がわからない」は私も一応通してきたが、そう言いながらも、エリックの英語に日本語で答えてきた。クリスティーナ(デイケア・スタッフ)によれば、これがよくないらしい。あくまで「英語がわからないふり」をして、英語には絶対に反応しない必要があるという。

振り返ってみると、私は「でもね、それじゃあ忙しい時には事が運ばないじゃない…」と思ったり、日本語を今話さないのも子育てによくある「一時的なこと」かもしれないと思って、そこまで強く言ってはこなかった。さらによく考えてみると、私って厄介なくらいの正直者だから英語で話しながら「英語がわからない」と言うことに対して多大なためらいがあることにも気付いた。

最近のエリックが、”I’m teaching you English”と言ったり、私と夫の会話に入ってきて”See, you can speak English. You can do it!!”と言って、自分が先生役になっていると思い込んでいる節があるのは、私の曖昧な態度やためらいに対する反応なのだろうか。

さて、次のポイントは、私以外にも日本語が通じる場所があることを教える、という点。フランス語で4歳児を育てている知人からは、この問題に関して「あなたの努力が足りないからよ」とズバリ言われてしまった。家にはテレビはないし、重い腰をあげて日本語サークルに行くか・・・。

英語が伸びて日本語が低下した時期は、私が復学して多忙を極めるようになった時期、エリックがデイケアが楽しい!と感じはじめた時期と重複している。子どもと共に過ごす時間が少ないワーキング・マザー(やフルタイム学生マザー)の場合、バイリンガル育児はより大変なのかもしれない。

しかし、まだまだ取り返しがつかないわけではない。私のバイリンガル育児はやっと始まったばかり。「英語がわからないふり」が窮屈に感じている私、昼間、日本語サークルに行く時間が取りにくい私は、これからは心して私独自のクリエイティブなやり方で日本語を教えていくしかないのだ、と新しい年に誓ったのであった。

Monday, February 14, 2011

4歳までにできること

トロント市保健局が子どもの発達の指標として使っているNipissing District Developmental Screenでは、「4歳までにできること」として、次のような項目をあげている。(「ひとつでもNOにチェックマークがついたら専門家に連絡を」となっているところがちょっとこわい)

・3段階の指示に従い、長い文章を理解できる(「おもちゃをしまって、ランチのまえに手を洗いなさい」)
・ライム(韻をふんだ誌など)や子どもの歌を歌う
・質問をひんぱんにする(「どうやって?」「どうして?」)
・次の言葉が正しく言える(Two, hat, do, mud, fun, off, key, cookie, go, hug)
・runningやjumpedのように正しく動詞を変化させる
・聞かれたら、絵を見てその絵を説明できる
・たいてい周りの人にわかるようにはっきりしゃべる
・両足を使って階段を上り下りできる
・片足だけで3秒間立っていられる
・片足ではねようとする
・腕を伸ばして大きいボールをとろうとする
・はさみで紙が切れる
・3および4つの部分で人の絵を描く(頭、身体、手など)
・クレヨンやえんぴつを正しくもてる
・ボタンやジッパーをはずせる
・日中、トイレが自分で使える
・少人数のアクティビティで他の子どもたちと順番を待ち、いっしょにおもちゃで遊べる
・泣いている友達をなぐさめる
・他の子どもの近くで遊んだり、話しかけたりする
・大人の承認を得ようとする(「見てね」「ほら、すごいでしょ」)

「あ、そうね、やってる、やってる」ってのが多いわね・・・。

Friday, February 11, 2011

Humanity in Children

数日前、エリックをデイケアに迎えに行ったとき、-17℃にもかかわらずみんなプレイグラウンドで遊んでいた(カナダなのね・・・)。

プレイグラウンドに行くと、子どもたちが私を見るなり駆け寄ってきて、Eric is crying; The boy hit himなどと口々に説明してくれる。向こうを見ると、エリックがクリスティーナに手を引っ張られて泣いている。クリスティーナによれば、誰かが持っていたおもちゃがエリックの額に偶然当たった、It was just an accidentということらしい。

額の傷を確認し、たいしたことはないらしいと安心して、エリックをハグしている私に、まわりの子どもたちがHe’s OK? It hurts him badly…と言ってくれる。エリックを囲むお友達が彼のことを心から心配している様子で、その心配そうな表情にハッとさせられた。クリスティーナはThey are very concerned and they won’t leave him aloneと言っていた。彼らのgenuinessというかempathyに私、心を打たれてしまった。

エリックを見ててもそうだけれど、子どもたちを見ていると、ときどき何というか、「人間性の善さ」みたいなものを垣間見ることがある。そのたびに、ジェノサイドや虐殺、殺人やホロコーストを興味深く学んだ私は、良い意味でも、悪い意味でも「人間ができること」に驚かされる。大学時代、哲学をしていた友人と「人間は善か悪か」、性善説などを論じていた私だが、今、はっきり言えるのは、人間は環境次第で善にも悪にも振舞える、ということ。エリックが泣いている日、回りの子どもたちを見ていて、そのことをふと思い出した。

最近よく言うことば












Watch me!
Look at what I did. (かなり得意そうに言う)
Who want to play with me? (夫も私も黙ってる・・・)
Who want to ride my taxi?
Who want to touch my りすちゃん?(着ているTシャツのりすちゃんを指して)
You can touch my 虫ネックレス (No thanks!)
I want you to play with me.
I want you to come here. Right now! (これを言うと「そういう言い方はしないの」と言われる)
You are nice to me.
I love ~ so much. (何でもかんでも・・・)

最近の様子(3歳8ヶ月)

・英語が主要言語になっている(英語98%、日本語2%)-2ヶ月前と比べると日本語の使用頻度は少し増えている
・私とエリックの会話は私(日本語)エリック(英語+少しの日本語)で、私の言う日本語はよく理解している
・けれど、日本語の発音が日本語ネイティブらしくないこともある
・コードミクシングが見られ、英語の文章のなかに日本語の単語を使うケースがよく見られる
・英語の語彙が日に日に増え、WhileやThoughなどの構文も使うように
・私に英語を(夫には日本語を)教える立場にいると思っている
・「日本語でね」には「エリちゃん、わからないよ」と日本語で答える(前はI don’t know how to say it in Japaneseだった)
・よく歌う。デイケアで習った英語の歌を始終、歌っている
・P,O,H,Iに加えて、F, E, L, R, Sを書き始めた(デイケアで教えてる?)
・文字を指して「これ、何て書いてる?」とよく聞く
・数字1、2、3あたりは読めるみたい。6を9とまちがえている
・標識やサインが気になって、すぐに意味を聞く
・1から12まで数える(英語、日本語)
・曜日が気になる(「今日は何曜日?」と聞く)
・はみがきやソープの手洗いが自分でできる。蛇口もしめる
・サニー(家族)にもらった虫が入った(!)ネックレスが好き
・つららを探すのがすき。届くものがあれば家に持ってかえろうとする
・絵らしい絵を描かない、というか形のないものばかり書いている
・塗り絵やパズルには興味がない
・スノーパンツをはいたり、ぬいだりを練習中。簡単なもの(Tシャツやパジャマ)は自分で着れる

Tuesday, February 8, 2011

日本語Day

日本語を教えるのが私ひとりの仕事になっていることにふと気付き、夫にも仕事を分担してもらうことにした(「ちょっと、なぜに私だけがこんなにあれこれ考えてるのよ? 夫はどうなった、夫は?」)。

それで、「日本語Day」の登場と相成ったのであった。

土曜日は夫が日本語学校に行く日(午前中だけ)。だったらついでに土曜日は1日中、家族での会話は日本語ですることにしようと思い立った。バイリンガル関連の本には「特定の日を特定の言語を話すようにする」という方法が効果的であると書かれていたしね・・・。

しかし、これが我が家では簡単にはいかない・・・。
今回ばかりはかならず日本語をマスターしようと努力している夫がいちばん乗り気だが、問題は質問が増えること。「~してくれない? と~してくれる?はどう違う?」とか「そういうときは~あげてくれるって言う?」とか、とにかくビギナーなのでビギナーレベルの質問が多くて会話が進まない。
英語を教えていた私は、文法に関しては嫌いではないが、日本語という言語の厄介さにはつくづく嫌気がさしているので、日本語文法に関してはあまり論じたくもない。

おとといは「日本語で話してるのは、エリックに日本語を話させるためだから、質問より話をしてちょうだい!」とイラッとして言ってしまった(ごめんね、夫・・・)。

ただ、一方ではたどたどしい日本語を話す夫を見て、エリックはときどき直してあげることもある。”It is usually said ~”など「英語で日本語を教える」といった感じで、エリックが日本語を話すきっかけになっているのかは疑問。ただ、エリックのなかでは「ダディよりエリちゃんの方が日本語ができる」と思っていて、すぐに夫の日本語を直そうとするのがおかしい。

また、私が日本語で話していることを夫が理解できないとき、仕方なく英語で説明するのだが、そんなとき、エリックは耳をそばだてて聞いている。私の英語を直したりもする。また、私が英語の単語がすぐに探せなくて、「えーっと・・・」となっていると、すぐにエリックが登場する。そして、得意そうにIt’s ・・・と教えてくれる。

それを見て、ときどきわざと英語が分からないふりをして「えーっと、こういう日は何というんだっけ?」と言うと、かなりきちんと答えてくれる(「マミー、それはfoggyって言うの・・・」)。

話が逸れたが、「土曜日は日本語Day」は、すぐに当の私が忘れてしまって英語になってしまうので、今のところあまり効果は見られないが、これ、しばらく続けていこう。

結局、これでやる気が出てるのは夫で、ちょっとターゲットがずれてしまってるんだけどね・・・。

Monday, February 7, 2011

日本語のDVDを見せてみた

「日本語を話さなくなったのよ・・・」と困っている私が受け取ったアドバイスで「日本語を話す友達をつくってあげる」とともに多かったのが、「日本語のテレビか映画かを見せると」というもの。「TV Japanはいいですよ、子どもは好きですからね・・・」。

我が家にはテレビはない。夫がときどきYou Tubeでトトロを見せていたが、そういうときのエリックはのめりこむように見てはいたが、それが日本語を使うことに結びついたとは思えない。

でも、まあ、みんなのアドバイスにしたがってみることにしようと思っていたところ、近所に住む友人(日本人)が「にほんごであそぼ」というDVDを貸してくれた。

NHK番組らしいこの「にほんごであそぼ」は、NHKというと地味なイメージを抱いていた私をとっても驚かせた。古典や近代文学をこどもが喜ぶようなリズムで身近に遊べるようにReconstructionするやり方は確かに画期的。ひょっとして、Mother Gooseが英語圏の子どもたちに与える影響と同じ影響を日本語で与えてくれるのでは? とも思ったりした。

さっそくエリックに1回見せてみると、じいっと興味深そうに見ていた。I like itとかI like the big skirt ladyというコメントをしながら。それから数日後、そのなかに出てきたフレーズを突然、繰り返して私を驚かせた。

テレビを見せようとは思わないけれど、少しくらいならこうやって映像を見せるのも悪くないと思う。ただ、一方では映像を見せる「必要」は感じないし、なければないで何とかできるとも思う。ただ、言語における「音・リズム」の大切さというのを、このDVDを見て改めて考えさせられた。エリックがマザーグースやナーサリー・ライムズから英語のリズムを学んでいるように、日本語の歌やリズムのよい本に触れさせる必要を・・・。

しつけと言語

どうしてなのだろう、しつけをしようとすると英語のほうが楽に感じる。それは、育児書を英語で読んでいるからなのだろうか(といっても1冊斜め読みしたって感じだけれど)。英語の方がAssertiveにスパッと言える気がするからだろうか。それとも、夫がエリックをしつけるのを傍で見ながら、私もその方法を学んでいるからだろうか。うん、多分そうなのだろう。

We don’t do that.「そんなことしちゃだめでしょ」
Be nice to the cat.「ネコちゃん、やさしく触ってあげてね」
Excellent! I love the way you hundle it.「よくできたね。さっきのよかったね」

一方でほめるときや愛情表現も英語の方がしやすい。
You are wonderful.
I love you very much.
You are such a wonderful boy.

でもだめだめ、日本語でやらなきゃね・・・。