Wednesday, March 30, 2011

子どもはゲームが好き

子ども一般に言えることだが、エリックも最近はゲームが好き。「ゲームが好き」を「日本語を話す練習」に使えないだろうか・・・、ということで考えたのが、次のゲーム。
伝言ゲーム
キッチンで料理をしている夫にメッセージを伝えるようにとエリックに言う。
「サラダドレッシングには、レモンとお酢、オリーブオイルを使ってね、と言ってちょうだい」
「OK」
と言って走っていくものの、
「Daddy, use salad dressing… えーっと、うーん、マミイ、何?」
一応、日本語から英語にしようとしているが、内容はすっかり忘れてしまっている。こんなことで大丈夫なのだろうか? ま、しばらく継続してやってみよう。
「I spy」ゲーム
I spy with my little eye something that is…で始まるおなじみのゲーム。これを日本語でやる。「お部屋のなかにあるもので、緑のものがあります。さて、何でしょう?」
なぞなぞ
「”い”のつく食べものは何?」とか「雨が降る日にもってたらよかったのにね、っていうものは何?」といったように、なぞなぞ形式にすると喜んで乗ってくる。エリックの質問によって答えが判明してくるものや、「しりとり」ゲームなども日本語が上達したら使えるだろうと思う。
「なぞなぞ」という言葉が文句なしにおかしいらしい・・・。

Tuesday, March 22, 2011

クロワッサン

エリックは「クロワッサン」が大好き。デイケアのスナックで出されるようなのだけれど、ベーカリーに行ったり、カフェに行ったりするといつも「クロワッサンちょうだいね」と言う。

しかし、そんなとき、私のように「クロワッサン」とは言わず、Croissant(私にはクロサーンと聞こえる)と言い、私には「マミイ、クロワッサンじゃないよ、Croissantだよ」と言うのがちょっと憎らしい。
カタカナ表記の弊害、だわね。フランス語の発音って難しい・・・。

それから、「シーチキン」ってのも私、未だに言ったりしているんだけれど、エリックに笑われる。
「シーチキン? ちがうよ、tunaでしょ!」
「日本ではそう言うのよ」
って言うのだけれど、海のチキン・・・、一体、誰がこんなネーミングをしたのよ? と心中にて思う。

Happy St.Patric’s Day(遅ればせながら・・・)

日本の地震・津波・原発のニュースにすっかり心を奪われていた私だが、3月15日はSt. Patric’s Dayで、エリックもデイケアでは緑の冠を作ったらしくそれを頭に乗せて帰ってきた。

聖パトリックはアイルランドの守護聖人で、アイリッシュにとっては、この日はパトリックをお祝いする特別な日。アイルランドはもちろん休日だが、アイリッシュ系の多く住むニューファウンドランドも休日になると今年初めて知った。緑色の服を着たり、クローバーのついたシールをほっぺに貼ったりする人が通りに見られ、夕方からはパブが大盛況で、大量のアルコールも消費される。

トロントでは、先週末にSt. Patric’s Day Paradeがあり、毎年、あまりぱっとしないけれど、プライド・パレードほど人気がないので、子どもを連れていくにはぴったり。消防署から警察、軍隊をはじめとし、いろんな団体がパレードに参加していた(法輪功の音楽隊も!)。去年に続いて今年もエリックは緑のネックレスをしてパレードに参加(アパートのすぐ下なのだもの)。クローバーのスティッカーをほっぺに貼ってもらったり、ロリポップをもらったり、もらいものも多かったけれど、消防車やポリス・カーが「いちばん、よかった!」らしい。

考えてみれば、夫の母親がアイルランド系カナダ人だから、エリックもちょっぴりアイリッシュの血統が入っている。デイケアでは、ECEのコニーがアイリッシュ系らしく、彼女お得意のアイリッシュ・ダンスをみんなでしたのだと、その日エリックを連れて帰ってきた夫が教えてくれた。

数日後、コニーと話をしていると、「アイリッシュがちょっと入っている子どもが何人かいるわね」という話に。ベンもエリックと同じくおばあちゃんがアイリッシュで、アレクサンダーもお父さんのお父さんがアイリッシュだとか。「でも、まったくのアイリッシュってのはいないわね」。

帰って、夫にこの話をしたら、「Irish Bloodっていったって、何の意味ももたない」と言う。IrishとかBritishとかいうのは、結局のところCultureなわけで、そういう「血」があるというのは幻想に過ぎない、とか。そうよね、いちばん確実に影響を受けるのは「生まれ育った文化」だわね・・・。
ところで、エリックはコニーに「エリックもアイリッシュなのね」と言われて、「ちがうよ、エリックはエリックだよ」と答えていた・・・。

Monday, March 21, 2011

「おはなし、おはなし」

寝る前には、エリックが日本語と英語の本を選んで、私が日本語の本を、夫が英語の本を読んで消灯、眠りを誘う音楽・・・というふうになるのだけれど、そのあとに最近「おはなし、おはなし」の要請が来るようになっている。

ちょっと恥ずかしいことだが、私は横になると即座に眠れるほど、いとも簡単に眠りに落ちることができる。一方で、エリックは明らかに「まだまだ遊びたい!」フェーズで、何とか寝ないようにがんばっている。なので、横になった私が「壁が壊れたおはなし!」とか「椅子にすわっていたときに川の水が来たはなし」(これって、最近、私と夫が話している日本の地震・津波の話と関連があるのかもしれない)とせがまれて、即興でそれらしいおはなしの筋をつくって、最後は「ハッピーエンド」で終わるということをやるようになっている。もちろん、我ながら「さっきのはおもしろいお話だったなあ」ということもあるけれど、おはなしを始めた途端に眠りに落ちたり、おはなしの脈絡がまったくなくなったりすることがままある。

たとえば、昨夜は、うさぎに招かれて大きな木の下のおうちに入ったエリックの話をしているうちに、「テーブルにいたねずみたちが・・・」「そこで・・・うーーんっと、横断歩道ではちゃんと信号を見たり・・・宇宙のなぞが解ける日がくるのか・・・」といった、まったく関係のないことばが出てきて、エリックが「ん?」とか「ちがう、ちがう、ねずみじゃなくて、うさぎでしょ?」とか、「マミイ!!」と揺り起こされたり・・・、そうやって起こされるたびにまたまたおはなしに戻ろうとするのだけれど、同じことの繰り返し・・・ということが頻繁に起こっている。

日本語を教えるために、この「おはなし」を考えたものの、こんな有様では・・・と私も情けなく思っている(それに、私が「うさぎに招かれたおはなし」の続きの夢を見たりもして、なんだか本当におかしなことになっている)。横になってやるのがまずいんだろうね、今日は気合を入れて、よし、正座でやってみよう・・・。

ミニカーをひとり動かしながら遊ぶ姿

エリックがいちばん好きなおもちゃといえば、やっぱりミニカーだろう。あっちからもらい、こっちからもらい・・・しているうちに、結構な数がたまっているけれど、お気に入りは日本からケンくんが持ってきてくれたパトカー。エリックはこれを「トウキョウ・ポリスカー」と呼んでいて、デイケアに持っていってお友達に見せたりしている。

ミニカーの何がそんなに楽しいのか私にはよくわからない。でも、エリックはよくベッドやカーペットのうえに横になり、数台のミニカーを手に持って1台を走らせながら、もう1台を止まらせたり、一緒に走らせたり、ゆっくりと動かしたり・・・、そんなことで10分間ほど自分だけの世界に入って遊んでいたりする。自分で道があると想定したり、坂道になっていると想定したり、パーキングがあると想定したりしているようなことを口に出すこともある。

ウォルドルフ教育の専門家が言うように、子どもは想像力があるから細い丸太みたいなものでも十分楽しく遊べるらしい。1本の枝が、人になったり階段になったり動物になったりするのだとか。音が出たり精巧につくられたりしていると、かえって子どもの想像力が働きにくいので、子どもにとっては興味が薄れるのだと書いているのを読んだこともある。
子どもって本当に不思議な生き物!

Thursday, March 3, 2011

I’m just pretending

最近、やけにI’m just pretendingというのが多い。突然駆け出して、「ここは、でんしゃのせんろ。I’m just pretending」と言ったり、「豆コーナー(いろんな種類の豆類を混ぜて大き目の缶のなかに入れている場所)」で、お料理するふりをして、「はい、パンプキンスープ」といって私に小さなお皿を渡したり・・・。

さらには、突然、ねこになって4つ足で歩きながら「ミヤオ、ミヤオ」と鳴いていたりもする。私の足に擦り寄ってきたりして、かなりなりきっている。
今日は「レモンになったよ」と言って、舌を出したまま固まっていた(意味不明)。

これがいわゆるMake Believeというこの年齢ならではの子どもたちの遊び方なのだろう。そういえば、私も昔やってたかも・・・。

Wednesday, March 2, 2011

コニー

デイケアのスタッフにコニーという女性がいる。エリックはデイケアのスタッフはみんな好きだけれど、とりわけ会話のなかにコニーの名前がよく出てくる。

夫に言わせれば、コニーは“Crazy Aunt energy”の持ち主らしい。ときどき、こういうちょっと変わったAuntieがいたりして、子どもたちはそのAuntieのことが大好きなのだ。自分では結婚もせず、子どももいないけれど、子どもが大好き。次々と子どもたちが喜ぶようなゲームや遊びを考えては、子どもたちといっしょになって夢中で遊んでいる・・・。最初はピンとこなかった私も、今はその言葉に深くうなづくようになった。

多分、コニーの何が特別かといえば、彼女の自意識のなさだと私は勝手に思っている。いちど、エリックを迎えに行った私は、アフリカンな音楽を流して、子どものことなどすっかり忘れたかのように踊りにスカーフを振りながら100%専心している彼女の姿を見て何ともおかしくなった。子どもたちはそれでもお構いなく、コニーのくねくね踊りの真似をして彼女のまわりを飛んだり跳ねたりしている。音楽が終わると、やっとはっと我に返ってWhere am I?といった感じでまわりを見渡していたの姿が私の目に焼きついている。

また、彼女は自然が大好きで、毎朝、自転車に乗ってデイケアまで通っている。まつぼっくりやらどんぐりやら、木の葉っぱやら、ありとあらゆる自然のものを拾ってきては、子どもたちとシェアするのが好きなので、このあたりでエリックと波長が合うのだと思う。デイケアの一角は、「Connie’s Nature Table」となっていて、コニーはそこで子どもたちと自然のものを眺めたり観察したりするのが大好きである。

さらに、いつも新しいゲームやあそびを考えるのはコニーの役目。子どもたち向けのヨガを取り入れたり、世界中の面白い楽器を見せたり、クラフトにおけるクリエイティビティには目を見張るものがある。

そんなコニーを子どもたちが好きにならないわけがない。子どもたちはいつも「見て、見て、コニー!」「コニー、こっちに来てこれを手伝って!」と言って彼女になついている。12月に数週間という話で、コニーが別のデイケアに移動になったとき、みんな彼女の帰ってくる日を心待ちにしていた。エリックも朝になるとよく「きょうはコニーが帰ってくる日?」と聞いていた。そして、コニーが戻ってきた日、子どもたちがみんなコニーに抱きついてI missed you!!と言っているなか、私も同じようにやってコニーの帰りを喜んだ。あんなにコニーを待っていたエリックははずかしくて私の影に隠れていたけれど・・・。

ところで、こう書いていてふと思ったのだが、コニーのような保母さんって日本ではちょっと稀なような気がする。というか、あんな感じで「自意識に欠ける人」(よい意味で。周りのことがまったく見えてない、というわけでなく、自分がどんなふうに見られているかまったく関心がなく、自分の判断基準がしっかりあるから、他人からの判断もあまり気にしない人)が存在する保育園や幼稚園ってのが私には想像できない。

You are so special!とある日、私が言うと、コニーはOh, I believe everyone is very, very special. That’s why this world is so special… と言って自分の幼児教育に対する情熱や信念をしばらく私に熱く語ってくれた。子どもには小さいころから多様性を見せてあげておきたい私としては、コニーがエリックのデイケアにいてくれてよかったとつくづく思うのであった。

マルチリンガル

デイケアのスタッフから聞いた話によると、子どもたちはサニーのおじいちゃん(モンゴル出身)が来ると、「ニーハオ」とあいさつするらしい。サニーのおじいちゃんは英語をしゃべらないわけではないが、とても苦労しながら話をする。なので、デイケアの子どもたちが誰ともなくサニーのおじいちゃんに「ニーハオ」と言い始めたらしい。

それで、私もわけがわかった。エリックがときどき「ニーハオ」と言っていたのは、こうやってサニーのおじいちゃんが来るたびに子どもたちといっしょに挨拶していたからなのだ。

最近はどこで習ったのか(ま、デイケアに間違いないんだろうけど)、「アディオス」とか「メルシー」なんて言葉も使う。トロントのデイケアって本当にマルチリンガルなのね・・・。

Tuesday, March 1, 2011

映画に泣く

夫の友人が映画上映会をするからと誘ってくれた。我が家にはテレビはない。エリックの見てきた映像といえば、You Tubeのネコ画像(ネコが動く映像を見るのが好き・・・)と、最近見せた「にほんごであそぼ」くらい。エリックの目にハリウッド映画はどう映るのだろうか。

ちょっと心配ではあったけれど、夫のよき友人だし、Socializeだと思って行くことにした。

映画が始まってからずっと半時間ほど背筋まっすぐで見ていたエリック。車が事故にあうシーンでは、ひょっとして刺激が強いのでは?と思ったけれど、夫のことばに「だいじょうぶ」と答えていた。しかし、もうしばらくして、今度は2人の男性が大きな声で言い争う場面(別に言い争っていたわけではなく、1人が片方に「ほら、それがリアリティだよ。どうして君には見えないんだ?」といった感じで諭してた)になると、どうしようもないくらい泣き出した。

すぐに部屋から連れ出してなぐさめてあげた。
泣いた理由を聞いてみると、最初は「わかんない」と言ってたけれど、しばらくすると、「エリちゃん、おっきな声を出す人はいやだよ」と言っていた。そういえば、エリックはこれまであんなに大きな声を張り上げて言い争っている人を見たことがないんだということに気付いた。

でも、それだけなんだろうか。車が炎上するような事故だって見たことないのに、車の場面では大丈夫だった。ひょっとすると人間の激しい感情の方が、エリックの心にはどうしようもなく恐ろしいものに思えたのかもしれない。

思えば、ハリウッド映画ってのはとことん感情的だ。感情が激しければ激しいほど売れるし、私たちもそういうものを長年見るうちに、もっともっと!とさらに感情的なものを求めるようになっている。淡々と日々が過ぎていくような映画は退屈だというのが大半の人たちの感想ではなかろうか。でも、それはあくまで大人の期待で、とくにテレビを見てこなかったエリックにはあまりにも異質なものだったに違いない。そのことに後になって気付いた。

今回、この件では非常に反省した。と同時に、子どもにどんなものを与えたいかを私自身、自らに問いただすきっかけにもなった。子どもは大人のミニチュアではない、ということに改めて気付いたことは、私にとって大きな学びであったことは間違いない。