Wednesday, December 29, 2010

「カフェ行こう!」

私と夫の影響で、エリックも「カフェ」(Coffee shopのこと)に行くのが好き。カフェに入ると、居心地のいいソファを見つけてさっと座り、I want croissant and coco, pleaseと偉そうに言ったりする。

3歳でTim HortonsやStarbucks、Timothy’sやらUrbana Cafeを知っているというのは、田舎で育った私にはちょっと驚き。夫がそうなので、エリックはカフェは「勉強するところ」だと思っていて、図書館に入ったときのようにひそひそ小声で話したりするのがおかしい。働いているスタッフにも顔や名前を覚えられてすっかり「常連」になっている。

1日中よくしゃべる

デイケアがお休み中、エリックと1日いっしょにいると頭がおかしくなりそう。なんたって、よくしゃべるのだ。何だかんだと、ずーっと話している。何かをするときは実に「自分が何をしているか」、「これから何をするか」、「どうしてこれをするか」といったことを話す。

私がお料理しているのを見ると、「どうしてこれをするのか」「エリックは何が好きか」「マミーは何をすべきか」といったような、どうでもいいこと(失礼!)を延々と述べる。
それも、論理的に筋が通っていればいいのだが、そこは3歳児。しゃべるためだけに、どうでもいいようなことをしゃべっている、といった感じがある。

一方では質問もよくしていて、Philosophyって何?とかSoloって何?とか耳に入ってきて知らない言葉があるとよく質問する。単語の使い方やリズムなどを含め、しゃべる練習をしている時期なのだろう。
日々の生活のなかから静けさがなくなって、私はちょっと参っている。

Monday, December 27, 2010

日本語でね!

デイケアがお休みになって、私と過ごす時間が増えたせいか、ごくごく簡単なこと(ありがとう、ごめんね)は日本語で言うようなことも少しずつ増えているような気がする。とはいえ、Eの会話はもっぱら英語。

「日本語でね」と言うと、ちょっと考えておかしなことを言う。
たとえば、
E: You can come here and see that moon.
私:日本語で言ってみて。
E: I don’t know… You can come こっち? 
とか、一部の単語が日本語になるだけのことが多い。

Why がっこう is closed today?
ゆきis very cold, but is beautiful!

なんてのも多くて、文章自体は英語だけれど、一部の単語が日本語になっている例がよく見られる。

質問が多い

近頃は夫によく質問をするE。What’s emergency?とかWhat does it mean?とか、会話のなかで分からない言葉を聞くこともあれば、どこかで聞いた言葉を覚えていて、脈絡もなく質問がでてくることもある。

日本語でも本を読んでいると頻繁に質問をする。「おくさん」とか「こちこち」とか「おまえ」とか、うーむ、どう説明していいのやら・・・。「おまえ」って言葉、私、個人的に嫌いだわ・・・。

I want sister.

ある日、そう言った。夫がSisterってどういう意味か分かってるのかと聞くと、分かってないらしい。それで「ほら、デイケアにいるリアナみたいな小さい女の子がおうちにいて、マミーもダディーもダイパーを換えたり抱っこしたりする必要があるから、エリックにかまう時間も減ってしまうだろうね」とか何とか言うと、I don’t want it.と言っておもちゃの棚に行ってしまった。

無知な人にはプロパガンダって簡単なのだわ、とつくづく思った。

Thursday, December 23, 2010

「かわいそう」という感情

Frosty the Snowmanのアニメーションを見ていたときのこと。
雪だるまのFrostyが溶けてしまうところになって、エリックが突然泣き出した。「何で泣いてるの?」というと、「Frosty がかわいそう、Frostyがなくなる!」といっておいおい泣いている。

それで思い出したが、最近、図書館で本を読んでいるときも、同じようなことがあった。絵本のなかの動物が川に落ちたとき、突然泣き始めて困ったことがある。そのときは、泣いた原因が、動物が川に落ちたことなのか、近くに子どもがいたからなのか、よくわからなかったが、ひょっとするとあれも動物が原因かもしれない。
3歳の子ってあんなふうに感情移入をするのね…。

Monday, December 20, 2010

日本語の発音が・・・

ここ最近、エリックはぬいぐるみを集めて座らせ、自分はベッドの端にちょこんと腰かけて、本を読んであげるのがお気に入り。本はいつも「かくしたの だあれ」。私も参加させられることが多いのだけれど、エリックは実に満足そうに本を読んでいる。読んでいる、というか、この本は「えんぴつ かくしたの だあれ」(えんぴつ、のところがいろんなものの名称にかわる)が繰り返される簡単な本なので、厳密にいえば読んでいるわけではない。

でも、私、このとき気がついたのだ。エリックの日本語の発音がネイティブっぽくないことに。そして、ときどき「えんぴつ だれ かくしたの?」になることがある。こうして日本語の語順が変わることがたまにあるのだけれど、これってひょっとすると英語語順を日本語にあてはめているせいかもしれない(英語だとWho hid the pencil?)。

ぬいぐるみはみんな英語はできないということになっているので(私が無理やりそうさせたのね)、エリックはかなり努力して日本語を読んでいる。なので、これから本のレベルをあげていこう。
バイリンガル育児にはぬいぐるみ動物たちの協力も必要ってわけね…。

日本語を話さない②

ちょっと前、キャサリンに道で会った。キャサリンはフランス語が母国語のケベコワ(ケベック州出身)で、4歳のベンジャミンには家庭ではフランス語を話している。「エリックが日本語を話さないのよ~」と言うと、すぐさま「それはあなたの努力が足りないからじゃない」とズバリ言われてしまった。

キャサリンによると、エリックに日本語で話すお友達をつくってあげること、そのお友達と定期的に会う時間をつくってあげること、日本語話者のグループによるアクティビティやミーティングなどに積極的に参加することが今、私のやらなくてはならないことだという。要するに、エリックに私以外に日本語を話す人たちとのコミュニケーションの機会を増やしてあげることが必要だという。

先日、日本語を話さないエリックのことを書いたとき、友人ニッチからも同じ指摘を受けた。
「もっと日本語を話すロールモデルがいる」
「定期的に日本語話者の多い所に連れて行くとか、日本語のテレビ、ビデオ、映画を一緒に見るとか、日本語を使って「今」を見せることができたら、お母さんの言葉を話す人は、いっぱいいるっていう理解につながるんじゃないでしょうか」

ごもっとも、ごもっとも。ひとつ、私も気付いていたのは、エリックと長い時間過ごすと、たとえば、デイケアからの帰り道、カフェに寄って話をしたりすると、エリックも少しずつ日本語を話すようになること。土曜日など、1日私が面倒を見ていると、お昼くらいから少しだけだけれど、日本語が増えたりする。

振り返ってみれば、エリックが日本語を話さなくなった時期はデイケアをはじめたころ、それは私がカレッジに復学したときと重なっている。私はカレッジの勉強に追われて家でも日本語を話す時間は限られていた。日本語話者のグループに連れていったりすることもほとんどなくなっている。テレビは家にはないから、日本語といえば私との簡単な会話だけに限定されている。キャサリンやニッチのいうように、私の努力が必要ということなのだろう。

一方では、夫とこの問題を話し合って、ひとつ、ふたつ、ふたりでできることを考えてもみた。
まず、晩ごはんを作るのを週に1日か2日、夫にかわってもらう。その間、日本語でできること、たとえばじいじやばあばとスカイプをするとか、そういうことを一緒にしよう。それから、晩ごはんか、土曜日の会話は夫も含めて日本語にする。夫だって日本語を勉強しなくてはいけないので、こうすれば一石二鳥というわけ。

日本語話者のグループに連れていく、というのに関しては、私、あまり積極的にはなれないのだけれど、まあ、やってみるか。

「日本語を話さない」テーマについては、かなり興味深いテーマなので、今後もまだまだ続きます。

Sunday, December 19, 2010

「No hitting/叩いてはいけない」のルールをどう教えるか

先日、3歳になったばかりのサニーのお母さんが、「かなり心配していることがあるので、ちょっと聞いて」と言ってきた。聞けば、最近のサニーは怒ったときに彼女を叩くことが多いという。それも軽く叩くというよりは、何度も何度も力を込めて叩いているらしい。サニーのお母さんは、「エリックもそういうことがある?」と聞いてきたが、もちろん、エリックも3歳4ヶ月ごろだったか、デイケアに行き始めて2ヶ月後ぐらいに夫や私を叩くことがあった。

どういうときに起こるかといえば、もう、明らかに、眠いとき、疲れすぎているとき。おひるねをしなかった日の夕方などは危険度満点だった。結局のところ、数にしてみれば10回ほどだろうか、それも軽く叩くくらいで痛くも何ともなかったけれど、私もこの時期、かなり気になった。

同じ時期、デイケアのスタッフと話をしていたときにこの話題になったことがある。彼女によれば、デイケアに行き始めた子にはよく見られるパターンらしい。子どもたちがお互いに叩いたりすることは頻繁にあるけれど、デイケアでは必ずその場でちゃんと言いきかせをする、と強調していた。実際、私も一度、2人の子どもが叩きあいになったあとで、デイケアのスタッフが仲裁に入って最後に「Sorry」を言えるまでに導いていたが、そのやり方は実にFairでEfficient、この後、私もかなり彼らのスキルに信用を置くようになった。

「やりたいのにできない」という怒り、何でもできると思いはじめたのに、ある行動を親にとめられるフラストレーションは、自分の感情がコントロールできないという不安・・・、これらは自我が健全に育っているという証拠でもある。そして、この時期、親がどう子どもを導いていくかは、今後、子どもにどんな行動基準を与えるか、という点で非常に大切な時期だと思う。

さて、我が家で私と夫がやったのは、
・We don’t hit people、We don’t tolerate hitting、It is not OK to hit peopleと繰り返し伝える
・あやまるように言う
・今、感じているのはどういう感情なのかを言葉で伝えるよう促す
・そういうときは必ずといっていいほど泣くので、泣き止むまでTime Outとする(そのとき、泣き止んだら夫か私が部屋に入って話をする、と伝える)
・泣き止んだら部屋に入って、同じようにどうしてHittingがよくないか、どういう感情を感じていたのか、を話す
・最後に「ごめんね」かSorryを言う。そのときは「ごめんねは2度と同じことをやらないという意味」と強調する

という方法。とにかく、泣いているときは話にならないので、泣き止むのを待って、それから話に入る。何度か同じことを繰り返すうちに、エリックの方も泣き止むと私たちが来てくれると理解して、泣き止むのも早くなってきた。

また、この時期の子どもに感情をことばで表現する、ということを教えるベネフィットは計り知れない。体のなかにフラストレーションや怒りを感じて、それをどう処理していいか分からない子どもは、その不安感から、ものを投げたりぶつけたり、他人を噛んだり叩いたりしてしまう。でも、一度、自分の感じているのが何なのかをことばでCognitiveに認識すれば、怒りはおさまらなくても、不安は取り除ける。しばらくすると、エリックはI am angryとかI am frustratedとか、感情をことばに表現することが増えて、叩くということがほとんどなくなった。

実は、これは私が夫から学んだことで、夫の対応を繰り返し見るうちに、そして、その結果としてあらわれたエリックの変化を見て、「感情にことばを与える」の重要性を改めて認識するようになった。

親の対応として重要な点は、
・夫と私が同じ行動に対して、同じ対応をすること
・その場できちんと対応すること
・「ごめんね」の重要性をわからせること(ちゃんと相手の目を見て謝る)

という点。サニーのお母さんに「まわりの大人が同じ対応をしているか」と聞いたとき、彼女は「実はおじいちゃんはすぐにサニーを抱きかかえて連れていってしまう」と言っていた。子どもは大人の対応によって、自分がしてもいいとされている行動パターンを学びとっている。その時期に大人たちの対応が違うのを目の当たりにすると、困惑するだけで、行動を変える契機にはならない。

その場で対応する必要性は、この時期の子どものAttention Spanの短さを見ていると明らかだろう。

最後の「ごめんね」の重要性は、私が学校で子どもたちを教えていたときに経験したことなのだが、「ごめんね」という時に他のことを考えながら言うのではなく、心から反省し、2度とやらないと約束できるように子どもたちを導くことは、その後の学級の雰囲気を大きく変えた。子どものうちは、間違いをおかすことはそれほど重要ではないけれど、それを2度と繰り返さないように自分の行動パターンを変えられるかどうか、が重要なのだと、私は子どもたちに再度言い聞かせてきた。その結果、「ごめんね」の意味をしっかり考えさせることができたのだと思う。同じように、エリックが「ごめんね」と言うときには、そのことばが何を意味するかを知らせておきたいと思っている。(余談になるが、私は常々、日本語の「ごめんね」とか「すみません」は英語のSorryに比べると、重みが断然軽いと思っている。)

この時期の子どもたちは、いってみればCave man(洞穴に住む人)からSocial being(社会的存在)へと変化をとげつつあるわけで、社会のルールを学びつつある時期にあたる。厄介な時期ではあるけれど、2ヶ月ほどで、叩くこともほとんどなくなったエリックを見ると、子どもたちのCapabilityに驚くとともに、今後、ちゃんと社会で生きていける術を学ばせてあげるのは親の大切な役目なのだとつくづく思う。

Saturday, December 18, 2010

日本語を話さないときの親の対応

ここ最近、頻繁に書いているように、今、私のBilingual育児の関心は「日本語を話さない子どもに親はどう対応すればいいのか」という点。エリックは日本語を理解してはいる。私が言った日本語を理解して、それに対応する英語で答えている。しかし、「日本語で話してね」に対して、I can’t say that in JapaneseとかI don’t know how to do it.とか言って、日本語を話さない。簡単なこと(たとえば、「ごめんね」とか「ありがとう」)なら日本語になるのだけれど。

それに最近は「マミーは英語ができないから日本語で」に対しては、Mommy knows English because mommy speaks English with Daddyと言って「マミーは英語が話せる」と実にArgumentative(論争好き)になるので、話が進まない。

エリックが生まれる前、この手の話はよく聞いた。ある時期、とくに友達がいちばん!の時期に入ると「どうして日本語を話さなくちゃならないの」と言いはじめ、「日本語なんて必要ない」と日本語を拒絶する。こうした時期に入ったとき、親が多忙でかまってあげられないと、日本語をすぐに失ってしまうとか、親があまり強く言うことで反動的に強固な拒絶に遭ったりとか、そういう話も聞いてきた。

エリックの場合、まだ「拒絶」というわけではないが、英語がますます強くなる一方で日本語を話すことがほとんどなくなっている。

さて、こんなとき、親はどう対応すべきか。

知人はこういう例を紹介してくれた。イギリス在住、4歳になる娘さんに母親は日本語教育をしている。娘さんが英語を使うと「何を言っているか分からないの。日本語でお話ができないと寂しい」と繰り返した。「英語は理解できない」ということになっているので、英語で言われると対応をしなかった。娘さんはお母さんが悲しむのがいやなので日本語を使うようになった。

これは、非常によくできたケースで、こう事が運べば文句はない。しかし、いろいろなケースがあるはずで、親の対応について、いろいろな方からの意見を聞けると非常にありがたい。

3歳6ヶ月:日本語を話さないときの対応(bits Magazine連載コラム)

前回、「英語がみるみるうちに伸びている」というエピソードを書いたが、それから1ヶ月経った今はというと「会話のほとんどが英語になっている」という感じで、パーセンテージで言うと「英語98%、日本語2%」という、非常に憂慮すべき状況に陥っている! 

私に対しても英語を使うようになり、私たちの会話は私(日本語)、E(英語)という顛末で、「マミーには日本語で話してね」にも"I don’t know how to do it"とか"I’m teaching you English”などと言って私を困らせる。

さて、こんなとき、親はどう対応すべきか。

エリックのデイケアのスタッフ・クリスティーナは「そういう場合は、ぜったいに話をしないことよ。日本語で話してくるまで話さないということを伝えて、英語は拒否すべき」と言う。以前、2言語で育てている人にも「あなたが英語を理解しないと信じさせるべき。そうでなければ、英語の方が楽だからすぐに英語に流れてしまうのは当然」というようなことを言われたことがある。

こうやって忍耐強く「英語を拒絶して、日本語を強要する」メソッド、私もそれがいいんだろうということは分かっていても、実際にはそれでは事が運ばないので、英語で言われると「マミーには日本語で話してね」と前置きをした上で日本語で対応する、という方法で今のところ対処しているが、本当のところ、これでいいのか気持ちが定まらない。

子どもは覚えるのも早いが、忘れるのもあっという間。今ここで日本語をやめてしまったら、瞬く間に日本語を忘れてしまうだろう。

英語が話せるようになったエリックは、今、非常に楽しそうに見える。3ヶ月前にデイケアに行き始めたころはほとんど話をしなかったのに、今やスタッフや友達に自分から話かけていると聞く。以前のシャイなエリックが、(英語だと)おしゃべりでユーモラスな子になっている。コミュニケーションをとれるようになった変化は親としてはうれしいし、彼にとっては英語の方がより有用性が高いわけで、エリックが英語に流れる気持ちはよく理解できる。

もうひとつ、家族のなかで私ひとり日本語で話している状態に、蚊帳の外に置かれているような気持ちになることも私の心を揺さぶっている。「日本語でね!」とあまり強く言い続けると、エリックはすっと私から離れていき、夫のところへ行くこともある。そんなときには、悲しいかな、ちょっぴり孤立感を感じてしまう。

以前は、英語環境にいながらもエリックとふたり日本語を話しながら自分たちがバブルのなかに守られているような気がしたものだ。そのバブルはあっけなくはじけて、今、もといた場所を振り向きもせず外へと向かって駆け出したエリックを眺めながら、私はひとり、軽い喪失感を感じている。

最近の様子(3歳6ヶ月)

・英語が圧倒的に(英語98%、日本語2%)
・英語のいい間違いをしている
・私が日本語で話しても英語で答える
・「日本語で」には、I don’t know how to say this in Japaneseと言う
・「マミーは英語がわからない」に対しても「マミーは英語が話せる」とArgumentativeになる
・よくしゃべる。自分がやってることなどすべてナレーションする
・よく歌う。デイケアで習った英語の歌を始終、歌っている
・甘いものを食べたがる。デイケアの影響? 3歳まで甘いものをあげなかった反動?
・フラストレーションを表情で表現する
・ものを数えるのが好き。1から10まで数える(英語、日本語)
・最初に書けるようになった文字はP、次がCとO、目下、Dを練習中(デイケアでやっているのかも。私も夫も教えてない)
・みみずののたくったような絵を描く
・デイケアでは積極的に他の子どもと遊んでいるらしい
・ボタンかけが上手になる
・バッグに夢中(私のバッグをあれこれ探して中身をさぐる)
・電車に乗りたがる
・中国系の人には「ニーハオ」と言う(デイケアで聞いたのかも)
・怒りを言葉で表現できるようになった

Thursday, December 2, 2010

3歳5ヶ月:英語がみるみるうちに伸びている

(bits magazine Nov. issue)
現在、エリックは3歳5ヶ月。フルタイムでデイケアに行き始めて2ヶ月が過ぎた。この2ヶ月間、彼の英語が非常に伸びていることは、私と夫はもとより、夫の両親や近所の人にも明らかである。
現在は夫には英語、私には日本語で話してはいるけれど、私が英語をちょっとでも使うとここぞとばかりに英語で対応する。英語で話す方が楽しい、といった感じで、英語で話すときには興奮のためか声が大きくなるのでちょっと困っている。語彙に関しては英語と日本語で同等程度、ただし、語彙のうちで英語だけしか知らない語彙(faucet, ponytail, fur)、日本語しか知らない単語(お箸)もあったり、同時に「おじゃみ」と「bean bag」という言葉をどちらも知っていたにもかかわらず、それらが同一のものを指すことが私にいわれるまで気付かったり・・・、という興味深い場面にも遭遇している。

さて、自分がふたつの言語を習得していることに対する自覚はあるのだろうか。2歳半ごろだったか、あるとき「ものにはふたつ名前があるね」と言ったことがあって、自分が2言語を同時に習得しているという自覚がないのだろう、と思ったことがある。3歳2ヶ月ごろから、「エリちゃんは英語と日本語ができるね」とか「ダディは日本語ができないね」とか「ばあばは英語ができないね」と言うようになったので、英語と日本語という2つの異なる言語を学んでいるというかすかな意識が芽生えたのかもしれない。また、デイケアのお友達が「中国語を話している」というのも何となく分かっているらしい。

ふと気付くと、エリックが英語話者になっていることに私が驚くという場面もしばしばある。私が何か質問すると、以前は最初に「うーん」と考えていたのが、最近は「Ummmm…」と言ったり、「ほら、ここにあるじゃない」と言うと、「あ」と言っていたのが、「Oh!」になったり、驚いたときに「わーっ」だったのが「Oh my god!」や「Holy cow!」になったりと、こんな小さな場面でハッとすることがある。こういうとっさの対応に英語が自然に出てくる、ということは、英語がかなり上達している、というだけではなく、言語(英語)と思考の間にギャップがない(つまり、ネイティブ・スピーカー)ということなのだろう。

デイケアの影響は大きい。デイケアに行くようになってしばらくすると、エリックにはジャックという友達ができた。お互いに朝会うとHelloと挨拶を交わし、エリックも家に帰るとジャックの話をよくする。そんなときはたいてい英語になるので、「日本語で言ってね」と注意を促さなければならない。でも、私だって英語環境で起こった話を日本語でするのはちょっと面倒というか、inconvenienceだというのも経験的に知っている。

こういう状況を見るにつけ、このまま幼稚園や学校に行くようになると日本語を継続して学ぶことがどんどん難しくなるんだろうな・・・と今から心配の先取りをする必要はなかろうが、いささか気になっている。