Saturday, May 28, 2011

熱いおふろはだれのおふろ?

昨日、エリックのために入れたお風呂はちょっぴり熱かった。
ちょっと熱いだろうな、と思って見ていると、足を入れて私を振り向いてこう言った。
「Oh, it’s hot. これは日本人のお風呂だね、マミイ」
日本の熱いお風呂に入れない夫も笑っていた。

Sunday, May 22, 2011

「ほめて育てる」ジェネレーション


昨日、私が母と電話をしている後ろで遊んでいたエリックがやって来て「I want to talk to ばあば」と言った。受話器を渡して耳をすませていると、「Hi じいじ(間違えている)」と言って、ばあばが何か話していたが、ふと、ばあばの「エリちゃん、日本語できないねえ」という言葉を聞いた。エリックは「そう」と言ってちょっと笑っていたが、この言葉に、私は心底、驚いた。

たしかにエリックは日本の同じ年齢の子どもと比べれば「日本語ができない」ということになるだろうし、ばあばとスラスラと話せるような会話力は到底備わっていない。でも、電話での会話というのは大人にも難しいものだし、エリックは日本で育っているのではない。私はこれまで「できない」という言葉を子どもに対する言葉として使ったことはない。「日本語ができない」とか「片づけができない」とか「あいさつができない」とか、そんなことは言った覚えはない。私が子どもだったら、こんな言葉は親から聞きたくない。

それで思い出したのだが、私が子どもだったとき、私はこういう言葉とともに育てられた。最近よく言われる「ほめて育てる」なんてもっての他で、何をしてもほめられた記憶がない。大人になった今、ほめられたいとは思わないが、子どもというのは親を含めた周りの大人に「認めてもらいたい」という気持ちが非常に強いように思う。なので、やっぱり子どもながらに私は不満を感じていた。

夫も同じようなことを言っていた。クラスで最もよい成績をもらってきてもYou can do betterと言われて、心に傷を負っていたのではないか、と。それが、今でも心の深いところに残っていて、必要以上に自信を失うことがある、と。

私もそうで、「ありのままの自分ではいけない」とずうっと長年思ってきた。今はかなり「それが私なのだもの」と開き直っているところもあるが、批判されると簡単にへこむところは今も変わってない(ただ、私は寝て起きるとケロッと忘れるので救われているのだけれどね・・・)。

彼らなりに最善の方法で育ててくれた親を批判するつもりはないし、これはきっとジェネレーションの違いなのだと思っている。今、私のまわりを見回してみると、やっぱりネガティブなことを子どもに言って育てている親はいない。「この子はこんなことができるのよ」と自慢げに言ってはばからない親はたくさんいる。そんな彼らの姿を見ながら、これはトロントだからなのだろうか、日本ではどうなのだろうか、という疑問がふと沸き起こってきた。

日本語の回線と英語の回線

最近、今までエリックに使っていないような言葉(日本語)も意図的に会話のなかに含めるようにした。

私自身の経験を振り返ってみれば、トロントに来て以来、知らない英語の単語に出くわしたとき、翻訳などで本当に必要な場合以外は、辞書というものを使ったことはほとんどない。そういう言葉は文脈から予想をある程度立てておくと、次に出てきたときにそれを確認することになり、英語1本で意味をとるようにしてきた。言い換えれば、日本語の辞書をひかないから、日本語を通して意味を取るということがない。その方が何となく意味が広がるように感じられるし、実際にその単語を自分で使いやすいということにも気付いた。

それもあって、エリックとの会話のなかに今まで知らない言葉を意図的に入れ、それを繰り返し使うというやり方の効果を見てみたいと思っているのだ。子どもも辞書を引かないのは同じなので、きっと何度も繰り返されるなかで「こんな感じの意味ではないか」との予想を立ててゆくのだと思う。その過程が、語感を豊かにしたり、想像力を鍛えたりすることに役立つのじゃないかしら。

ときどき、エリックは「それ、なに?」とか、たとえば「はずれる、ってなに?」と聞くこともある。そのときは英語を使わないようにして、日本語だけで説明し、なるべく例を挙げてみる。こういう言葉はできるだけ繰り返し使うようにして、しばらくたってまた「はずれるっていうことば、知ってる?」と聞いてみると、覚えていることが多いのだが、エリックはほとんどすべてそれらの言葉を英語にして説明している。「That means “come off”」とか言う。私は英語では教えていないので、エリックの頭のなかでは、日本語の回線と英語の回線がひょっとすると2本できておらず、1本なのかもしれない、と思って少し気がかり。バイリンガルなら2本の回線があるはず、と本では読んでいるので、実はこのあたり、専門家の意見を聞いてみたい。

Saturday, May 21, 2011

見知らぬ人と子ども


お店の前のベンチでハトに餌をやっているおじさんがいた。私とエリックはそこを歩いていたのだが、エリックが一羽のハトを追いかけはじめた。そうすると、そのおじさんは大きな声を出してLeave him alone!!と怒鳴ったのだ。

エリックは一瞬固まった表情をして、そのあと泣き出した。これには私もカチンときて、「子どものしていることに、そんな大声を出す必要はないでしょう!!」と大きな声で反撃した。そのおじさんは私には答えず、無言で黙々とハトに餌をやっていたのだが、よく見ると、このおじさん、ヨレヨレしている。その何というか惨めそうな姿を見て私もそれ以上は何も言わなかった。

子どもと歩いていると、ときに非常に憎らしい大人に出会うことがある。相手が子どもであることを勘定に入れず、大声を出したり、より悪いのは険しい表情で子どもの目を見て邪気を送ったりする。Excuse me!の言い方が非常に悪意に満ちていることもある。大人ならば「ヘンな人だこと」で済まされようが、子どもはそのまま受け取ってしまいかねない。

私はこんなとき、エリックに「社会にはね、いろんな人がいるのよ!」と言うしかないのだが、幸いにも、子どもはすぐに別のことに関心を持つとすぐに忘れてしまうようだ。それにこういう憎らしい大人は、道で出会う親切な大人に比べれば実に少数派であるのは幸いなことだと思う。

子どもと歩いていると、見知らぬ人から本当によく声をかけられる。近所の図書館の年配の司書の人は、エリックが歩いていると、Here comes the cutie! と言ってくれる。ホームレスの人も、子どもには楽しそうな声をかけてくれる人がいたりしておもしろい。

You like doggies? というのも多い。私は犬はキライなのだが、犬の散歩をしている人にはDo you want to pet him?とか言われて、エリックは恥ずかしがっているので、あまり乗り気でもない私が犬をなでなでしてあげる羽目になることもある。

でも、いちばん子どもに優しいのはFire fighterやPolice officerではないだろうか。私はこの手の人たちは個人的には敬遠してしまうのだが、エリックの年代の男の子はみんなこんな人たちが好き。Fire stationを通りかかると、エリックは必ず止まってピカピカに磨き上げられたFire Truckを呆然と見ているのだが、そんなときは、そこにいたFire fighterの人たちが出てきて、スティッカーをくれたり、If you want, I can show you the insideと言って、Fire stationのなかをツアーしてくれることもある。私たちはYorkvilleのFire stationのなかにこうして3回入ってツアーをしてもらっている。さらには、Fire truckが通るのを見たエリックが手を振ると、なかの人たちは手を振ってくれる。

警察官も私は本当はキライなのだが、彼らも子どもたちには非常にフレンドリーで優しい。エリックはPolice cruiserのなかを見せてもらったり、帽子をかぶらせてもらったこともある。彼らはきっと、こういうふうに子どもたちから羨望の的になっていることをよく知っていて、子どもたちに対する対処の仕方をトレーニングされているのだろう。

Sunday, May 15, 2011

「おはなし」を自分で作るようになる

寝る前の定番となった「おはなし」だが、1週間ほど前から「今度はエリちゃんがおはなしして」と言うと、OKと言って話を始めるようになった。私がタイトルをあげると(たとえば、りすちゃんが迷子になったはなし、とか、わんわんが電車に乗ったはなし、とか・・・)ちょっと考えてから、話を始める。

数日前には、「エリちゃんが寝ていたとき、音がして、廊下に行ったら、そこにビーバーがいて、ビーバーが階段を食べていました。Oh, that’s a big, bit problem!」という話をしてくれた。もちろん、話になってはいないし、起承転結などあったものではないが、以前は「おはなしをして」と言っても「マミーして」と言ってただけなので、話を始めるようになったことは大きな変化として捉えている。4歳にもなると、起承転結のあるお話をするようになるとどこかで読んだ。

今朝、朝食のときに夫が言うには、「昨日の夜はすぐに眠ったみたいだね。エリックはあとで部屋にやってきて、マミイは寝たの、と聞いたら、おはなしをしてあげていたら途中で寝たって言ってたよ・・・」。いやはや、本来ならばエリックがお話を聞きながら眠るはずなのに、役割が反転しているじゃない・・・。何やら自分でも呆れてしまう・・・。

最近の様子(3歳11ヶ月)

・主要言語は引き続き英語(英語80%、日本語20%)
・私とエリックの会話は私(日本語)エリック(英語+少しの日本語)で、私の言う日本語はほとんどすべて理解している
・私が聞き取れなかった様子を見ると、日本語で言いなおそうとする
・日本語で話している環境に置くと、自然と日本語の使用頻度が多くなることに気付いた
・日本語の発音が日本語ネイティブらしくないこともある
・いくつかの英語の発音(LとR、erなど)がそれらしくなってきた
・コードミクシングが頻繁に見られる。英語の文章のなかに日本語の単語を使うケースがよく見られる
・難易度の高い言葉を日々覚えて使おうとする(英語)
・分からない言葉が出てくると「Desparateってなに?」とすかさず聞く
・よく歌う。別の歌をミクシングして歌ったり、話していることを歌にしたり・・・
・P,O,H,I, F, E, L, R, Sに続き、C, A, Y, Lなどもを書き始めた(デイケアで教えてる?)
・CやLが反対になっている(書くとき)
・「す」が「しゅ」になる(「これ、しゅる?」)
・文字を見て読もうとする
・数字が読める。6と9を時々まちがえている
・標識やサインが気になって、すぐに意味を聞く
・1から12まで数える(英語、日本語)
・乗り物が好き
・よく走る。走るのが早くなっている
・スキップらしいのをする
・「Shy」と自分で言う
・今まで食べさせたことはないのに「ホットドッグ」という名称を知っている
・落ちているコインを探すのが好き。1日に1枚はどこかで見つけてくる
・紙にぐるぐる丸を書いて、はさみで切って私に持ってきて、「これ、何て書いてる?」と聞く
・絵らしい絵を描かない、というか形のないものばかり書いている
・塗り絵やパズルにまったくは興味がないというか、させてもできない

Friday, May 6, 2011

眠る前の「おはなし」のおはなし


毎日、眠る前に「おはなし」をねだるエリック。
どうしてなのか、いつも「こわれたはなし」で、ある日は「ドアがこわれたはなし」を、またあるときには「コンピュータがこわれたはなし」を、さらには「ダディの鼻が取れたはなし」というのまで催促される。テーマはいつも「こわれた」とか「とれた」とかなのは何故なのだろう。

私や夫の役目はとっさにそのおはなしの筋を考えて、もっともらしく語る、というものなのだが、夫の話は起承転結がはっきりしていて、非常におもしろい。夫はよくエリックを主人公にしていて、冒険的なものが多くて(月に行ったり、川を下ったり)私ですら聞いていて「ふんふん、次はどうなるのだろう」と思いつつワクワクしている。

私のは、お恥ずかしいのだが、途中でこちらが眠くなるため、突然それまでは「りす」だったのが「ねこ」に変わったり、突拍子のないものが出てきたりで、ときどき「ん??」というエリックの大声に目を覚ましたり、「それはうさぎじゃなくて、りすでしょ!」と身体をグラグラと揺すぶられたりしている。眠らないでいったとしても、自分でもあまりよくできたものではない。ただ、10本に1本ほどは我ながら「なかなかだわね」というのもあったりして、それはねだられなくても繰り返したいので、別の日にも繰り返すのだが、エリックは「それは前に聞いたよ」と言って、新しいのを催促する。

そうしてあまり上手にできないのだけれど、いつも「はい、おしまい」と言うと、手をパチパチと叩いて、I like it very muchと言ってくれる。最近はI liked when he was hiding in the treeとか、コメントまで入れてくれるようになった。それを聞くとやっぱりうれしい。

「不思議の国のアリス」をはじめ、自分が子どもに語り聞かせたものがもとになっている子ども向けの絵本があるが、なかにはこうやって子どもに催促されたものもあるのかもね。
私の場合、かなり努力して、こうして毎晩、創作能力を総動員しておはなしを作らなくてはならないのであった。