Monday, September 27, 2010

Eの言い間違いがわかるかどうか

晩ごはんのとき、ブロッコリが大好きなEはやる気マンマンで(私たちの分まで)ブロッコリを食べていた。そして、ふと、こう聞いた。
- Who likes not broccoli?
それを聞いた夫はすかさず、
- Who doesn’t like broccoli?
と聞き返した。

そのとき、私は、ほほう、と思ったね。
私にはエリックの言ったことが何のことやらさっぱり分からなかったけれど、やはり英語話者にはこの言い間違いを瞬時にして正しい言い方にかえることができるのだ。

一方では、Eの日本語の言い間違いは私には意味は汲めても、夫には何が何だかわからない、ということもよくある。最近、エリックはめっきり英語をよく使うようになってきたので、夫の役割も徐々に増えてきている。バイリンガルで育てるのに、2人それぞれの得意分野があるのは、ほんとに便利だと感じる今日このごろ・・・。

Waltzing Matildaがお気に入り

最近のEのお気に入り歌といえばWaltzing Matilda。家にいるときは、自分で歌いながら踊っている。もちろん、「歌う」といっても繰り返しのところだけ歌って、あとは「ルルル、フフフ」みたいな感じだけれど・・・。
公共の場でWaltzing Matildaを歌ってると、それを聞いた誰かが”Wow! I love that song”とか”That’s a nice song”とかコメントするので、こっちは苦笑してしまう。

Saturday, September 25, 2010

The Terrible PLOP by Ursula Dubosarsky

Six little rabbits Down by the lake Munching on carrots and Chocolate cake…ではじまるこの本は、ストーリーがどうのこうの、というより、繰り返しが出てきてリズムがいいので、(私が)何度読んでもあきない本。
お話の本、というよりは、どちらかというとNursery rhymeとして読める。この英語のリズム感、やっぱり小さいうちから身につけてあげたい。

・・・「お話の本、というよりは、どちらかというと・・・」と書いてやっぱり迷った。
このストーリー、実はユング心理学でかみくだいてみると深い意味があるかもしれない。ストーリーをかいつまんで書いてみよう。

うさぎたちが湖のほとりで聞いた「ボトン」という大きな音に恐れをなして、そこから逃げていくのだけれど、その途中に森の動物たちに会って話すと、みんな大勢で逃げはじめる。最後に、大きなクマが「それなら見てみよう」というので、一番小さなうさぎと一緒に湖のほとりに行くことに。クマが上を見ている間に大きな「ボトン」の音がして、恐れをなしたクマはやっぱり逃げるのだけれど、一方で「ボトン」の正体を自分の目でしっかりと見たうさぎはそこに留まって、安心して食事を愉しむ。
この単純な話の裏には、「見えないものはこわい」でも「一度、それに向き合うことができれば恐怖は終わり、問題解決への道が開ける」、さらには「他人から言われたことを鵜呑みにすると、こうなる」という教訓が含まれていて、なかなか奥が深い。

夫の友人が悪夢の繰り返しに悩まされていたときのこと。その夢のなかではいつも背後に何か恐ろしいものがあって、それから逃げ回っていたのだけれど、ある日、意を決してその「恐ろしいもの」が何なのか見てみることにして眠りに落ちた。夢のなかでそれに初めて向かい合ったとき、彼はそれが何のか理解して、解決することができた、という話を聞いたことがある。

子どもの話や昔話って本当に奥が深い。ユング心理学に照らしてみると、人生の教訓が含まれていることが多い。エリックにはまだ早いからお話はしないけれど、私はこの本を読みながらいろいろと私の人生に対する態度についても省察したりして、なんだかいろいろ考えさせられている。

Monday, September 20, 2010

数え方(日本語)

食事やスナックのとき、食べ終わって(飲み終わって)同じものがもう一度欲しいとき、Eはこう言う。
「もういっかいちょうだい」
そのたびに、
「ライスミルク、もう一杯ほしいの」
とか
「ケーキ、もうひときれほしいの」
とか言っているけれど、なかなか覚えるのは大変らしく、まだ「もういっかい」以外、聞いたことはない。

葉っぱなら1枚、えんぴつなら1本、スプーンは1つ、ケーキは1切れ、ソックスなら1足・・・。

考えてみれば、ものによって数え方が違うというのは言語学習者にとってなんと大変なことだろう。使いながら、間違いながら、直されながら、ま、いずれは覚えていくものなのだろうけれど、名詞にSをつけたり、複数形の特殊な形を覚えればいい英語に比べ、数え方に関しては日本語は複雑きわまっている。

英語がどんどん混入しはじめる

-Here is a patrol car place.
-Now it’s OK.
-I can’t get this. Help me, please.
-Nothing is in here. I cannot see.
-This one is Daddy’s.
-What are you talking about?
-- Come here and see moon. (the は抜けている)
などと英語の文章が日に日に増えてきている。
夫と話しているとき、あるいは自分で本を見ながらひとりごとを言うときなどに英語が増えてきている。日本語95%だったのが、今は恐らく日本語85%くらいになっている。

友達

路上で同じデイケアに通う友達から「Hi Eric!」と言われると私の後ろに隠れたり、逃げたりしているE。そして、後からこう言う。
「エリちゃん、ともだちはいらないの。マミイとピーターがいるからいらないの」
その一方で、デイケアのともだちの名前を覚えているようで、
「マミイ、Jeffry知ってる?」
とか
「マミイ、エリちゃん、Sunny好きだよ」
とか
「マミイ、Myla、エリちゃんの横に座ってたね」
とか
「きょうはJackといっしょにすべりだいしたよ」
とか言ったりもする。
友達に興味を示しながらも、まだどうやってかかわっていいかわからない、といった感じなのかもしれない。

Friday, September 17, 2010

絵本を見ながら、くまの絵を叩く!

“You show me where or I'LL EAT YOU UP!”
とくまが言うページにくると、必ずくまの絵を叩いて
「ダメ! うさぎちゃんを食べちゃだめ!」
と日本語で言うのがおかしい。
これもEmpathyの形なのかも。
図書館の本だから大切に扱ってね・・・。

Empathyを示す

お散歩の帰り道、
「マミイ、ちょっと寒いから早く帰ろう」
と言うと、私のところにやってきて、ぴっちりハグして
「マミイ、だいぶじょう(だいじょうぶ、の間違い)だよ。エリちゃんがいるから、だいぶじょうだよ」
と言ったり、
「マミイ、今日はおなかが痛い」
と言うと、おなかをさすってくれようとする。
最近、こうしてEmpathyを態度で示すことが多くなっている。

「がっこうに行く!」Part2

今日もまた、家に帰ってきたEが聞いた。
「マミちゃん、あしたはエリちゃん、がっこうに行く?」
昨日の返事は「イエーイ」だった
「明日は土曜日だから学校はお休みよ。また月曜日になったら学校に行くわよ」
エリックの返事は以下。
「エリちゃん、明日、がっこう、行くよ。がっこう、楽しいからね」
最初はグズッて大変だったけれど、1ヵ月もすると、こうも変わるものなのね。
「明日は土曜日だから、マミイと遊ぼうね」
と言うと、あきらめた様子。
「OK、じゃあ、いっしょにQueens Park行ってHide and Seekしようね」
やれやれ、今日もやったのに・・・。

「がっこうに行く!」

昨日の夕方、エリックをELCでピックアップして帰ってきて、キッチンに入ると、エリックが後ろからこう言った。
「マミちゃん(最近、こう呼ばれている・・・)、エリちゃん、あしたはがっこう行く?」
またグズグズ言われるわよ、と思いつつ、嘘はつかない主義なので、
「明日は金曜日だから、エリちゃんは学校に行く日だわね。ダディもマミイも学校に行くわよ」
と言うと、なんと返ってきたのは、
「イエーイ!」(こんな言葉、教えた記憶もないのだけれど・・・)
の声とパチパチ拍手。ワオ! これにはびっくり仰天したね・・・。

Monday, September 13, 2010

絵本批評--Pumpkin Soup by Helen Cooper

秋らしさを感じるこの本は、エリックが図書館で見つけた本。そんな本にはハズレも多いけれど、たまにはアタリもあって、この本は大アタリ!の類。

同じ家に住むネコとリスとアヒルは、家のまわりに植えてあるかぼちゃで仲良くパンプキン・スープを作っている。かぼちゃを切るのはネコの役目、おなべで煮るのがリスの役目、塩をひとつまみ入れるのがアヒルの役目、と役割分担がきちんと決まっている。でも、ある日、アヒルが「Today it’s my turn to stir the soup」と宣言したことから、けんかが始まって、怒ったアヒルは家を出ていく。すぐに帰ってくるだろうと思いきや、なかなか帰宅しないアヒルを心配しながら作ったパンプキン・スープは塩っ辛い味。その後、リスとネコがアヒルを探しに行くけれど探せず、落胆して帰ってきたふたりは帰ってきていたアヒルを見つけ、大喜び。おなかのすいた3人は、アヒルに混ぜる役目を託して、キッチンを汚しながらスープをつくる。やっぱり3人のつくったスープが最高!というわけでハッピーエンドかと思うと、また最後にひと悶着あって・・・、という終わり方。

何しろ秋色のシックな絵がとってもすてき。3人のおうちもとってもかわいいし、みんなでつくるスープも実においしそう。お話も非常にストレートで、結局のところ、ひとつの作業を協力してすることの大切さ、お互いの長所を認め合いながら、時にはCompromiseしあって協力してひとつのものを作ることのすばらしさが実によく描かれてある。登場人物が動物というところ、つくるものがスープであること、などは(動物好きで、食べることが好きな)エリックにはピッタリで、よく読んでほしいとせがまれる本のひとつ。
かぼちゃを切っていると「マミイ、今日はPumpkin soupつくってね」と言うので、最近、そういえば、かぼちゃの煮物やかぼちゃのグラタン、蒸し焼きなど作ってないなあ・・・。

Sunday, September 12, 2010

最近の様子(3歳3ヶ月)

・話す会話に英語が混入しはじめる(日本語85%、英語15%)
・私には日本語、夫には英語で話すという区別がつきはじめた
・心を許した人には(間違えて)日本語で話したりする
・フルタイムのデイケアにまだまだ慣れず・・・(「エリちゃん、お家にいたい」)
・未だ私は「マミイ」、夫は「ピーター」と呼ばれる
・1日のうち95%は機嫌よくしている
・自分で絵本を見ながら、お話を簡略化してぶつぶつ話している(日本語・英語)
・ほとんど毎日、動物の夢を見ている(らしい)
・線のなかをクレヨンで「塗る」ということを発見
・でもやっぱり紙が破れるまでぐるぐる丸を描く
・「これ、ねこ」といいながら点や短い線を描く
・「エリちゃん、バイオリンしたいなあ」と何故かよく言う(バイオリンなんて教えてない)
・「エリちゃん、日本語と英語できるね」と自慢する
・引き続き、シャイなエリック…
・よくいろんな歌を歌っている
・1日中しゃべり続けている(家にいるときは)
・チョコレートをはじめて食べた(Lindtの丸いやつを丸ひとつ!)

Sunday, September 5, 2010

それってやっぱり日本人・・・

夫の両親宅に行くと、玄関にあがる前に必ず靴を脱ごうとするエリック。
デダ(おじいちゃん)に「You can keep your shoes on」と言われている。
さらに、来てすぐに洗面所に行って手を洗おうとする(せっけんで)。
カーペットで遊んでいても、ごみを見つけるとそれをつまんで「ごみばこはどこ?」と要求する。
教えたわけじゃないのに、なぜかやっぱり日本人的・・・。

最近、話をするのが楽しくて仕方ない!

といった感じなのだ。
もちろん、私じゃなくてEのこと。
ああだこうだと、1日中しゃべっている。
無意味なことや、理解できないこともよく言う。
でも、とにかくしゃべる。
なんだか、「ほらほら、こんなにしゃべれるんだよ」と言わんばかり。
人間って社会的動物だから、やっぱりしゃべれるとうれしいんだろうか。
一時的なことなのだろうか、それとも? 
私が小学生のころ、1日中何だかんだと始終しゃべっているうるさい男の子がいて、かなりうっとおしいと思っていたけれど、Eもあんな子になるんだろうか??なんてちょっぴり考えたりしたわよ・・・。

Friday, September 3, 2010

イントネーション

TTC(トロント地下鉄)で耳慣れない外国語を聞いたとき、私の耳に最も強烈に印象を残すのは、その言語独特のリズム、イントネーションである。よく「フランス語は愛をささやく言語」「イタリア語は情熱的に語る言語」とか言われるけれど、そういわれる所以は、言語独特のリズムやイントネーションにある。流れるようなリズムなのか、短く劇的なリズムなのか、言語によってかなり特徴がある。
この特徴を理解し、真似できることは、ある言語を学ぶ上で非常に大切になってくる。

そんなことを、最近のエリックを見ていると思い出した。
というのも、最近、Eといったら

「そうだとエリちゃんは思うんだけどねえ、ちょっと違うかなあ。でも、あっちの方が本当はいいんだよね、だって犬がいるじゃない・・・」

と全く意味の通らないことを大げさな日本語独特のイントネーションでしゃべっているときがあるのだ。

これは明らかに私の真似をしているのだと思うけれど、こうしたイントネーションを傍で聞いてみると、日本語独特のエッセンスというか、そんなものが込められているように思う。Eにとって、語彙や文法を理解するのは、まだまだ先のことになるけれど、私の日本語を聞きながら、こうして日本語に備わった特徴を自ら練習しているこの段階は、きっと言語学習の基礎になることだろう。

Thursday, September 2, 2010

New Phase for Eric and Me

9月、エリックは3歳2ヶ月にしてフルタイムでデイケアに行くことになった。言い換えれば、生まれて初めて100%母親の私のケアから離れて、Institutionalizedされた場所へと出ていくことになったわけで、3年間という期間を一緒に過ごしてきた私にとって、感慨は深い。

考えてみれば、生まれたときには「1歳で学校に戻る」(私、一応、Maternity Leaveという形で休学してますから)という決断を確固として持っていたにもかかわらず、実際にEが1歳になったときには、まだ歩くこともままならないEを前に「こんな小さなベイビーを他人に任せられますか」と疑問が生じた。さらに、カナダで育つエリックに日本語を教えることを自らのミッションとして自覚したこともあった。もうひとつ言えば、高齢になるまで「子どもなんていらない!」できた私としては、Eが最初で最後の子ども、という意識、つまり、私の一生のうち子育ての時間はほんの短い期間だという認識もあった。

そんなこんなで、これまでエリックをデイケアに入れることができなかった。トロントの悪名高いデイケアのLong waiting listにもかかわらず、2歳のときに「スペースがありますけど、どうしますか?」と言われたとき、「We are not ready yet」と断ったという経緯もある。

3歳になったころのエリックを見ていると、他の子どもたちに興味を示し始めたし、新しいことを学びたがっている様子を見せていた。そろそろ外の世界に出るころかも、と思った。エリックは他の子どもたちに比べると、その時期が遅かったように思う。でも、彼には、3歳3ヶ月という時期が妥当だったと思うし、その決断に、私、とっても自信をもっている。

それだからこそ、今は何の後悔もなく、泣く泣く「エリちゃん、がっこうに行かない~」というエリックの背中を押して、「Big boyになったんだから、がっこうに行くのよ。いっぱいお友達と遊んで、いろんなことを経験してきなさい!」と後ろ髪1本も引かれることなくバイバイをして、自分の生活にパッと戻ることができる。

そう、この9月、エリックが「がっこう」に行き、私もカレッジに戻ることになった。夫は相変わらずの大学院生で変わりないけれど、夫と私のなかではこの9月はエリックを含めた家族にとって非常に記念すべきNew Phase in Our Lifeといった感慨を深くしている。