Thursday, July 21, 2011

「寒い」と「冷たい」の違い

最近、35度を越える日が続くトロント。いつもは氷など作らない私だが、めずらしく作ってみたら、エリックが大興奮。液体が固体に変化するのが信じられないらしく、「なんで?」の連発。

一方、氷を触っては「さむい!」と言うエリック。何度か「寒い、じゃなくて冷たい」と教えるものの、いつも「寒い」になる。そういえば、先日、ビーチに行って、オンタリオ湖のひんやりした水に入ったときも「さむい」と言っていた。

何度か私が「寒い、じゃなくて冷たい」と言っていると、夫がこう尋ねる。
「寒い、と冷たいの定義の違いをどう説明する?」
うーん、と考えてみる。
「寒い、は、全身で感じるとき、冷たいは部分的に感じる感覚かな」
ここが母国語と第二言語の違いで、私の場合は例をいくつか考察しながら定義を引き出す帰納法、夫にとっては定義から用例を理解する演繹法を使うなり。
「その説明で、エリック、わかった?」
ときいたあと、テストをしてみる。
「じゃ、雪はどっちかな?」
「雪は…、うーんと寒い!」
やっぱりわかってない…。「寒い」と「冷たい」の違いって、案外と難しいのね。

Wednesday, July 20, 2011

親の影響:意見を言いたい、判断したいという願望

最近、怖いなーと思うことがある。
子どもって本当に直接的に親の影響を受けるものだということに気付いた。
私や夫の持っている価値観がそのまま何のフィルターにもかけられず、エリックに届く。それをまたエリックは他の人に言ったりする。
たとえば、私は木が大好きで、けっこうたくさん木の名前を知っていたりする。そして、木が切られているのを見るととっても、とっても悲しくなる。
デイケアに行く道々、トロント大学の敷地を通るのだけれど、昨日、そこで木が何本も切られていた。工事が始まって、小さなガーデンもつぶされていた。それで、私は思わずこう言った。
「木は何百年もかけてあんなに大きくなったのに、人間は一瞬にしてそういうものを壊してしまう。マミイはそんな風景を見るとやってられないわ」
エリックはまたまた「なんで木を切るの?」「なんで壊してるの?」と聞いていた。

迎えに行った夫は、帰ってきてからこんな話をした。
エリックが帰り道、「あの道は通りたくない」と言ったという。理由を聞くと、「木が切られているから」だと言い、エリックはI think it is silly to cut trees because it took a long time to grow. I think they are bad people.と言ったという。

こうやって静かに私の言うことを聞いていて、マミイと自分との差別化ができていないから、マミイの意見をそのまま受け入れているのだ。たとえば、小さい子供が差別的な表現を使ったり、あるグループの人たちに対してネガティブな表現を使ったりするのは、大抵、親のすることを真似ていることが多い。自分の親しい大人と自分との差別化ができないのは、一時的なことだし、成長の過程でもある。同時に、このくらいの子どもたちは自分でものごとを「判断したい」という願望、意見を言いたいという願望があるのだと、エリックを見ていて最近思う。こうした願望と無差別化が一緒になると、最悪の場合は「小さな人種差別者」になる可能性だってある。だからこそ、私たち大人は、小さな子どものいる前では言葉遣いに注意をする必要があるし、行動にも注意をしなくてはならない、とつくづく思う。

Tuesday, July 19, 2011

Why?「なんで?」が続く

子どもの「Why?」や「なんで?」はいつまで続くのだろう。時々、「いい加減にしなさい!」と叫びたくなるのをこらえている私。
デイケアに連れて行くときに、路上にいるホームレスのおじさん。
「なんであの人はへんなにおいがするの?」
(「おふろに入ってないからじゃない」には「どうしておふろに入っていないの?」)
「なんであの人はおうちがないの?」
「なんでマミイは助けてあげないの?」
と、もうひっきりなしに質問の連続。
私はできる限りは答えてあげるようにしてあげたいのだが、ときに答えられない、というか「今はちょっと難しいわね」という質問もある。
「どうして今日は暑いの?」
に、私は気象のことをどう教えていいのもの悩んでしまう。
以前は「どうして今日は風が吹くの?」に、「雲のうえで猫がおおきなくしゃみをした」と答えていたが、今ごろはこういう説明には「マミイ、ちがうよ」と乗ってこない。
確か、2歳ごろから始まった「なんで?」は、一時的なものかと思っていた私。でも、結構ずっと長く続きそうな予感あり。

考えてみると、私だって知らないことだらけ。どうして飛行機が飛ぶのか、どうして船が沈まないのか、どうして雷に打たれたCNタワーが無事なのか、よくわからない。わからないことを、そのままにして生きている。調べようともしない。もう今となっては「なんで?」と人に聞かれもせず・・・。そう考えると、エリックが「なんで?」と聞けるのも彼の人生ではほんの短い間なのかもしれない。大きくなったら、その「なんで?」を(私とは違って)自分で調べて納得できるようになってほしいものだわ、と、これってほんと身勝手な親の願いだわね・・・。

Monday, July 18, 2011

Shyであること

金曜日の夜、眠る前になって、エリックがこう言う。
I don’t want to go to the swimming tomorrow.
で、私は「なんで行きたくないの? 泳ぐのは好きでしょう?」と聞くと、
Because I’m shy.
と答えた。
「Shyなのとスイミング・レッスンに行くのとは関係ないでしょう?」という話から、エリックはこんなことを言い始めた(英語で)。要約すると、こんな感じ。
「いろいろとやってみたいこともあるんだけれど、Shyだからできない。(ここで私がマミーだってShyなのよ。Shyなのは別に悪いことでも何でもないのよ、と言う)マミーもShyだって言うけれど、エリックはマミーよりずっとずっとShyで、きっとマミーにはエリックの気持ちは理解できないんだと思う」
そして、最後にはThis is a problemと言って、ためいきをひとつした。

私はここで夫を呼んだ。なぜかというと、私が日本語で説明する言葉の多くがエリックにはわからないからだ。これは私の側の問題(幼児レベルで説明するのが苦手)であると同時にエリックの問題(日本語レベルが低い)でもある。しかし、エリックがこうして「問題」を私に話そうとしていることを私は重要だと感じたし、今までもこれからもエリックにとって非常に大きくかかわってくると思ったから、夫の助けを借りることにしたのだった。

夫は辛抱強くエリックと話をした。
Shyであることは、悪いことではない。
Shyだからしたいことができない、ということに気付いたのは立派だ。
エリックはShyなのじゃなくて、ときどきFeeling shyになるわけで、これは誰にもあることだ。
明らかにエリックはShyであることが問題だと思っていて、それを変えたいと思っている、という点が、話をするうちに次第に明らかになっていった。
そこで、夫は即興で「シャイなにわとりが最後に大声でコケコッコーと言えるようになったおはなし」を作って聞かせた。
エリックはその話をとても気に入って、それ以来、ちょっとShyになるようなことがあると、自分から「cock a doodle doo(コケコッコー)」と言って、がんばってやってみようとするようになった。翌日のスイミングにも張り切って行き、顔を水のなかにつけることもできた。

エリックは小さいころからシャイだった。
道で知らない人に声をかけられてもHiを言わないので、私も夫もExcuseのようにしてHe is a bit shyと言っていた。周りの人たちもDon’t be shyとかAre you shy?と言っていた。それを、そのうちにエリックはInternalizeしたのだろう。自分から自分のことをI’m shyと言うようになった。

エリックも他の子どもたちのように、公園に行ったら、スライドをしたりスウィングをしたりしたいのだけれど、他の子どもたちがたくさんいるとShyになってしまって、やりたいことをやれない、という状況になっていて、私も親として多少は腹立たしく思いながらも、決して叱ることなく見てきた。私も実はかなりのシャイだし、エリックの気持ちはよく分かるのだ。

そして、4歳になった今、エリックはそれを問題と認識していることに、私は非常に驚いた。夫とも話したが、私たちがHe is shyと言ってきたのは間違っていたと思う。外からレッテルを貼ってしまったことを後悔している。でも、夫は、それ以上に、エリックが今、「変えたい」と思うことを自分で変えることができれば、大きな自信につながる、と言っていた。あの日、ちょっと時間をかけて話しあいをしたことはよかったと思う。夫が機転をきかせて、にわとりのおはなしをしてくれたのも非常によかった。同時に、今までエリックがShyであることを一度だって私たちは責めたこともないし、変えなさい、と言ったこともなかったという点もよかったのだと思う。

Tuesday, July 12, 2011

最近の様子(4歳1ヶ月)


やはり英語が主流だけれど、最近はふとした拍子に日本語が出てきたりもする。「おめでとうございます」とか「おねがいします」とか言ったり、「はい、日本語ね」と言ったり、奇妙なこともある。いちばん困るのは「よっこいしょ」とか「よいしょ、よいしょ」、「うんとこしょ、どっこいしょ」。これは私が無意識のうちに使っているのと『おおきなかぶ』を真似ている。へんなところばかり日本語になったりしている。

・主要言語は引き続き英語(先月の英語90%、日本語10%)
・私とエリックの会話は私(日本語)エリック(英語+少しの日本語)で、私の言う日本語はほとんどすべて理解している
・日本語で言おうとすることもある
・日本語で話している環境に置くと、自然と日本語の使用頻度が多くなる
・日本語の発音が日本語ネイティブらしくない
・日本語が女性言葉になることがある
・コードミクシングが頻繁に見られる。英語の文章のなかに日本語の単語を使うケースが多い(「Could you get me そっちのくまちゃん、I need it for 明日持って行くの」)
・英語は過去形、単数・複数形、代名詞、所有名詞などを正しく使っている
・難易度の高い言葉や構文を日々覚えて使ってみようとする(英語)
・分からない言葉が出てくると「Desparateってなに?」とすかさず聞く
・声のボリューム調整ができなくて、公共の場でかなり大声で話したりする
・よく歌う。別の歌をミクシングして歌ったり、話していることを歌にしたり・・・
・本をひとりでじいっと見ている時間が増えた
・CやLが反対になっている(書くとき)
・「す」が「しゅ」になる(「これ、しゅる?」)時代は過ぎたらしい
・数字が読める。6と9を時々まちがえている
・「’G’は’じいじ’の’じ’」と日本語・英語がごっちゃになっている節がある
・1から12まで数える(英語、日本語)けれど、その後はあやふや
・スキップができるようになる。ジャンプを高いところからするのが好き
・落ちているコインを探すのが好き。1日に1枚はどこかで見つけてくる
・いまだに絵らしい絵を描かない、というか形のないものばかり書いているが、きれいな配色で色を塗る
・木登りが好きになる。とにかく「のぼる」ことが好き
・水泳レッスンを引き続き受けている。水で遊ぶのが好き

Tuesday, July 5, 2011

カナダ・デー


7月1日はカナダ・デー。1867年7月1日に10州と3テリトリーがイギリスから独立を果たしたことから、毎年その日にお祝いをする。といっても、アメリカ人とは違ってカナダではPatrioticなお祝いという感じはまったくない。
たとえば、オンタリオ州議会のあるクイーンズ・パークでは、毎年オンタリオ州知事が主催するお祝いが開かれるが、メインはエスニック・グループによるパフォーマンス。今年はネイティブ(先住民)のパフォーマンスに続き、チェコやインドネシア、日本の踊りなどもあった。多文化主義の象徴といった感じで、いかにもカナダらしいが、愛国者にとってはかなり失望だろう。

このクイーンズ・パークでのお祝いだが、カナダ人である夫はまったく興味を示さない。毎年、「ほら、今日はCanada dayだわよ!」と張り切っているのは私の方で、彼には何の感慨もないらしい。夫によれば、カナダ人の大半はCanada Dayをコテッジや家のバックヤードでバーベキューをしてワインやビールを飲んで過ごすのだそうだ。夏の休日というだけで特別な感慨もなく、お祝いに行くのはほんの一握りらしい。確かに、クイーンズ・パークに来た人を見るとそんな感じもないでもない。

クイーンズ・パークでは、エリックはフェイス・ペインティングをしてもらった。
私が「(カナダ国旗の)メープル・リーフを描いてもらったら?」としつこく提案したにもかかわらず、No, I want to be a cat!とがんばって結局ネコになった。
カナダ人の、かなりルースなカナダへの帰属意識。でも、そこがカナダらしくていいと私は思い、ますますカナダが好きになっていくのであった。

「泳ぎを教えるのは親の責任」という考え方

4歳になる少し前から、エリックは水泳レッスンを受け始めた。
水泳レッスンといっても今のところは水に慣れることが大きな目的であって、まだ泳いでいるわけではない。生徒3人に先生1人という少人数制というのはエリックにはピッタリ(数回前から1人来なくなって、生徒2人になっている)。週に1度、30分という短い時間だけれど、それからというものお風呂で浮かぼうとしたり、水面下でのぶくぶく(息を吐き出す)を練習したりしている。
ギャラリーから見ていると、先生のシャボーンは水着のECEといった感じで、子どもたちはその大げさなそぶりや明るい笑いに魅了されているように見える。シャボーンのうしろを追いかけていく子どもたちはまるでコガモのよう・・・。

たくさんの湖や川に囲まれたカナダでは、子どもに泳ぎを教えるのは子どもの安全にかかわる問題で、親の責任だという意識が高い。毎年夏になると、湖畔のコテッジに遊びに行って湖に落ちたり、川遊びをしていて流されたりする子どもたちが出てくる。そのたびに「子どもたちには泳ぎを教えるべき」という意見が必ず出てくる。興味深いことに、統計によると泳ぎを教えていない家族は移民家庭に多いという(スポーツに関してもそうらしい)。これは私、非常に納得がいく。

というのも、瀬戸内海で生まれた私も、小さいときに泳ぎ方をしっかり学んだという記憶がない。実は私、水に浮かないカナヅチ。小学校のころから夏になると体育は水泳となっていたが、泳げない私のような生徒は泳げるようになるための指導をされたことがない。ひとつには走ることのように、泳ぎなど教えなくてもできるはず、という認識があるのだと思う。それから、もうひとつは日本では、水泳や走りは上手にできる子どもたちを鍛えるためのものであって、私のような運動音痴が運動を楽しむ楽しみ方を教えてくれるものではないからだ。たぶん、そのあたりの意識が違っていることが、スポーツや泳ぎを真剣に教える移民家庭が少ない原因なのではないか。

シャボーンの声にあわせて、エリックとマリアが水のなかでパチャパチャと歌を歌いながら遊んでいるのを見ながら、どうして私は水に浮かないのかが分かった。水のなかでリラックスしていないからだ。そして、それはなぜかというと、水が怖いからに違いない。Amy Chuaも言うようにバイオリンもスポーツのようにリラックスしていないとうまく弾けない。まずはリラックスできる環境を整えてあげることが必要なのだ。「泳ぎを教えるのは親の責任」というより、エリックには水のなかで楽しめるようになってほしい。

Saturday, July 2, 2011

日本語環境に置くと日本語が増える(やっぱりね!)


エリック4歳のおたんじょうびの日、私は2つの課題に追われ、夫は夫で仕事が忙しく、ケーキをひとつ焼いただけで、特に何もしてあげられなかった。なので、2週間後の日曜日、私のカレッジが一息ついたところで、エリックの行くデイケアのお友達や近所のお友達を招いて簡単なパーティーをした。

日本語を話すお友達も来てくれて、久しぶりにエリックは英語以外のお友達と遊ぶ機会があったのだが、おもしろいことにそうなるとエリックもがんばって日本語を話そうとしていることに気づいた。とはいっても、やはり日本語が出てこないときもある。そんなときは、とりあえず「そうだよね」と相槌を打ってみたり、「いいなあ」と言ってみたり、まるで分からない日本語会話にいるときの夫のよう。でも、がんばって日本語を増やそうとしている姿に私も感激!

わかっちゃいるのだが、私はエリックを日本語のお友達と遊ばせる機会が少な過ぎるのだ。もっと積極的に日本語で話すお友達を作ってあげなくては、とこの日ばかりは反省した。今まではカレッジが私の生活の大半を占めていたが、これからは夏も来たことだし、もっともっとお友達と遊ぶ機会を作ってあげよう。

そうそう、お誕生日のお祝いはささやかだけれども、ルーフトップ・ガーデンでみんな楽しく遊んでくれた。夫が前夜せっせと計画していた「宝さがし」アクティビティも好評だった。エリックにとっては、楽しいはじめてのお誕生日のお祝いとなって、お友達が帰るときには、「来てくれてありがとう!」のハグをしていた。
うっかり者の私は、焼いていたもうひとつのいちごのケーキを持っていくのを忘れて、帰ってきてヒャー!ということになったが、いろんな人たちとお話もできて楽しく過ごせました!

Child Care subsidy(補助金)の現実とカナダ政治

6月29日付けToronto Star紙によれば、2011年6月現在で、19,817人の子どもがオンタリオ政府からの補助金を待っているという。2005年には3000人台だったSubsidy待ちの子どもの数は過去6年で6倍以上にも増えていることになる。

私たちの家庭では、夫と私はフルタイムの学生であったにもかかわらず、このSubsidyをもらえずにいる。というのには、いろいろとわけがあって、ひょっとすると読者の方の参考になるかもしれないので、書いておこう。

かなり長い文章なので、興味のある方は以下のリンクをどうぞ。
http://torontostew.blogspot.com/2011/07/child-care-subsidy.html

Friday, July 1, 2011

「その後どうなったの?」


・・・と言われるほど、ブログへのアップデートが滞っていたのは、私のカレッジが忙しかったため。朝8時に家を出て(エリックをデイケアに連れていくのは夫)、夕方、エリックをピックアップして帰ってきてから食事の準備、夜は学校の課題と勉強・・・とやっていると他のことに割ける時間がない。
今、やっと1段落ついたところで、エリックもその間、いろんな変化があったのでまた後ほどアップデートしていきます!