Tuesday, July 5, 2011

「泳ぎを教えるのは親の責任」という考え方

4歳になる少し前から、エリックは水泳レッスンを受け始めた。
水泳レッスンといっても今のところは水に慣れることが大きな目的であって、まだ泳いでいるわけではない。生徒3人に先生1人という少人数制というのはエリックにはピッタリ(数回前から1人来なくなって、生徒2人になっている)。週に1度、30分という短い時間だけれど、それからというものお風呂で浮かぼうとしたり、水面下でのぶくぶく(息を吐き出す)を練習したりしている。
ギャラリーから見ていると、先生のシャボーンは水着のECEといった感じで、子どもたちはその大げさなそぶりや明るい笑いに魅了されているように見える。シャボーンのうしろを追いかけていく子どもたちはまるでコガモのよう・・・。

たくさんの湖や川に囲まれたカナダでは、子どもに泳ぎを教えるのは子どもの安全にかかわる問題で、親の責任だという意識が高い。毎年夏になると、湖畔のコテッジに遊びに行って湖に落ちたり、川遊びをしていて流されたりする子どもたちが出てくる。そのたびに「子どもたちには泳ぎを教えるべき」という意見が必ず出てくる。興味深いことに、統計によると泳ぎを教えていない家族は移民家庭に多いという(スポーツに関してもそうらしい)。これは私、非常に納得がいく。

というのも、瀬戸内海で生まれた私も、小さいときに泳ぎ方をしっかり学んだという記憶がない。実は私、水に浮かないカナヅチ。小学校のころから夏になると体育は水泳となっていたが、泳げない私のような生徒は泳げるようになるための指導をされたことがない。ひとつには走ることのように、泳ぎなど教えなくてもできるはず、という認識があるのだと思う。それから、もうひとつは日本では、水泳や走りは上手にできる子どもたちを鍛えるためのものであって、私のような運動音痴が運動を楽しむ楽しみ方を教えてくれるものではないからだ。たぶん、そのあたりの意識が違っていることが、スポーツや泳ぎを真剣に教える移民家庭が少ない原因なのではないか。

シャボーンの声にあわせて、エリックとマリアが水のなかでパチャパチャと歌を歌いながら遊んでいるのを見ながら、どうして私は水に浮かないのかが分かった。水のなかでリラックスしていないからだ。そして、それはなぜかというと、水が怖いからに違いない。Amy Chuaも言うようにバイオリンもスポーツのようにリラックスしていないとうまく弾けない。まずはリラックスできる環境を整えてあげることが必要なのだ。「泳ぎを教えるのは親の責任」というより、エリックには水のなかで楽しめるようになってほしい。

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