Thursday, May 31, 2012

言語習得の過程が見える日々+日本の英語教育にイマージョンを!



日本に来て4ヶ月。保育園には2ヶ月間入っていることになる。「保育園行きたくない」と言いながら、エリックの日本語の語彙が増えているのは保育園のおかげに違いない。まず、保育園でいろんな歌を歌っているみたいで(お昼ごはんのときの歌や帰るときの歌など)、ことばも上手に拾っている。お祈りの言葉のなかの「神様」ということばもよく使っていて(カソリック系なので)、意味を理解しているのか聞いてみると、まあまあ理解できている様子。私に対しても、日本語で言うことが少しずつ増えてきた。


毎日、新しいことばを保育園でピックアップしているのは間違いない。ときどき私のところにやってきて、「~って何?」と聞くことがある。こうした言葉は、保育園で聞いた言葉のうち、意味の理解が不確かな言葉で、その証拠に私の説明を聞いた後、「そうだと思った」と言うこともある。明らかにコンテクストから推測しながら言葉の幅を広げているのがわかる(「分からない言葉があったら、その場で先生に聞けばいいのよ」と言ってはいるが、エリックはそれを恥ずかしいと感じているらしいことも分かった)。


そして、こうやって習得した言葉を、今度は自分で違ったコンテクストにはめ直して使うようなことも見られる。「これは~って言うんでしょ?」と言うこともある。たまにちょっぴり違っていることもあるけれど、こうやって、

耳で聞く 
  ↓
コンテクストから意味を推測する 
  ↓
意味の確認をとる 
  ↓
自分で使ってみる(試行錯誤) 
  ↓
自由に使いこなせる

というプロセスを繰り返すうちに言語が習得される様子が、今のエリックを見ているとよくわかる。誰に教えられたわけでもなく、子どもなら自然にこのプロセスに沿って言語を習得していくのだ、ということもエリックを見ながら感じている。


そのことをよく考えると、これは私が30代でカナダに行って英語を学んだプロセスと同じであり、これが言語イマージョン教育(language immersion)の本質なのだ。学んでいる言語のなかに身を置いて、まずは聞くことから始め、繰り返しの試行錯誤のなかから自由に表現できるまでの言語スキルを身につけていく。これこそ、人間の言語習得の最も自然なやり方なのだ。ついでにいうと、これは私が日本で英語を学んたプロセスとはまったく異なる。


それで考えるのだが、日本の英語教育においても、イマージョンという言語習得のプロセスを応用してみてはどうだろう。私の見たところ、文部科学省は英語教育の改善に相当力を入れているし、日本人の英語力の強化を真剣に考えている。その一環として、来年度から公立の高等学校の英語の授業は英語で行う、という計画もあるようだ。


でも、これはイマージョンとは違っている。今のように高校生レベルで文法中心の授業を英語でしても意味はあるとは思えない。それなら、いっそのこと小学校レベルで英語イマージョンを始めた方がずっといい。小学校低学年はまだ子どもの言語能力が飛躍的に伸びている時期だし、文法から入るのではなく、イマージョンで英語環境に置くことによって発音や語学のセンスを磨くことができるはずだ。すべての小学校が無理なら、まずはどこかの公立小学校で実験的にやってみればいいのにね・・・、と思うし、なんでそれがやられていないのかが私には不思議でならない。

Monday, May 28, 2012

恐怖に向き合うスキルを身につけよう

吃音のことにはじまって、エリックが保育園で感じるストレスについて話しているうちに、何と意外なことが判明した。どうもエリックは保育園そのものはキライではないのだけれど、隣のクラスにいる、ある年長の男の子がキライなんだという。


その理由を聞いてみると、どうもその子はエリックにちょっかいを出してきているらしい。1ヶ月ほど前には「たたかれた」と言って泣いたし、その後もその子、エリックに‘You are a bad person”(エリックの英語訳)というようなことを言ったりしているらしい。なので、エリックはその子が近くに来ると “I feel so stressful”(本人の言葉引用)なのだそうだ(きっと固まっているのだと思う)。


親の私からすれば、エリックがpickedされたのは日本語が上手じゃないからなのか、それとも見かけがみんなと違うからなのか、という点も気になる。ただし、これはすべてエリック側の「主観」なので、私もこれから情報収集をして事実を「調査」する必要があると思っている。


しかし、もっと考えなくてはならないのは、今回、はじめてエリックの人生にFear(恐れ)が出てきたという事実だと思う。今まで、エリックは何ひとつ「怖い」と思うものがなかった。夜の暗さも、大きなへびも、虫も、おばけも決して怖いと言ったこともなく、I am not afraid of anything!と言っていたものだ。それが、日本に来て同じ園の子どもに対して初めての恐怖を感じているらしい事実は、親としてはきちんと注意しておくべきだと思う。


というのも、「恐怖心」は押さえ込んでしまう癖がつくと、一生を恐怖とともに生きていかなくてはならないうえ、その恐怖を克服できるスキルを身に着けるまで繰り返し違う形で目の前に現れるからだ。これは私が自分の人生で経験したことだからよくわかる。なので、エリックがこの時期、初めて感じているこの「恐怖」に向き合い、対処できるスキルを習得してくれたら、親としてこんなうれしいことはない。


というわけで、毎日それが理由で「学校(保育園)行きたくない」と言っているエリックを見るのは辛いし、「カナダの学校に帰りたい」と言うと、本当に連れて帰ってあげたい!と思うけれど、恐怖に直面するよいチャンスが到来したということでもあるので(それも人生のこんなに早い時期に!)、複雑な気分だけれど、ここはしっかりとサポートすべきときだと夫と話をしている。

エリックの日本観


日本に来ていろんなものに驚いたり、「ふーん」とうなったりしている私だが、あの小さなエリックもときどき「日本は・・・」とか「カナダと違う」というような反応を示すことがある。エリックの日本観はというと・・・。
・トイレがどこにでもある
子ども連れで出かけたとき、はっと一瞬息を呑む言葉が子どもの「トイレ~」という言葉。エリックによれば、日本はカナダと比べてトイレの数が多いという。うーん、たしかにそうだ。とくに私たちが住んでいる場所は観光地なので至るところにトイレがある。親としてはかなりありがたい。ちなみに、広島のじいじとばあばの家の近くは、もちろん田舎なのでトイレは随所にはない。そのかわり「大自然」というトイレがあったので、これも困ることはない。エリックは大自然のトイレがとっても気に入ったようで(”It’s so refreshing!”)、京都に来てもそのあたりでしようとするので、最初はちょっぴり困った・・・。

あちこちで音がする
トラックの「うしろへさがります。ご注意ください」に仰天し、トイレの「音姫」に泣いた。炊飯器も洗濯機も音楽が流れるし、駅構内の音楽などに驚いている。夜にシューっという音をたてながら「焼きいもーっ」の音にも、週末の早朝の古紙回収の音にも驚いて、窓辺へ走って見に行く。「日本はいっぱい音があるね」。



・プレイグラウンド(公園)が狭い
「プレイグラウンドが小さいね」と言われて見ると、疎水のほとりの小さな公園の何と小さいこと! すべり台と鉄棒とブランコ、小さな砂場があるだけで、走り回ったりするスペースはまったくない。こういう小規模の公園は確かにトロントではなかったなあ。


・お金が落ちていない
トロントにいたときには少し歩くと必ずペニー1枚は見つけていたエリック。デイケアでドナがプレイグラウンドに大量のペニーをかくし、それをみんなで見つけるゲームをして以来、すっかりペニー探しに魅了されてしまった。そのエリックいわく、”In Japan, there is no money on the street!” 

うーん、確かにそういわれてみればそうだ。トロントではお金が落ちていても誰も拾わない(大人なら)くらい結構落ちていたし、お店に行けば、レジ付近には必ずといっていいほど落ちていたものだ。帰国後まもなく、私の母はエリックがお店に入ってレジのまわりをチェックしているのを見つけて、「そんなことは、日本の親は絶対にさせない! 恥ずかしい!」とビックリしていたものだが、私は子どものことだから誰かの迷惑にならない限りであれば大目に見ている。

夫いわく「日本人はきれいに掃除するし、お金にもっとシビア」。お金が落ちていないのは「つまんない・・・」らしい。そうは言っても、昨日は鴨川のほとりの公園で100円硬貨を拾って、私たちを驚かせていた・・・。

Monday, May 21, 2012

吃音とストレス、その後の経過

最近、エリックとめっきりいっしょにいる時間の長い夫が言った。「エリックの吃音は週末になるとよくなる」。

夫が説明するには、保育園で過ごすことがエリックにとってはかなりのストレスとなっていて、週末にはそれが少しだけ改善されているらしい。ゴールデンウィークの期間中は目だってそうだった。ゴールデンウィーク後半になると、エリックの吃音がほとんど消えていたのだった。


日曜日の夜には「保育園、行きたくない」とぐずるし、「ウィークエンドが短すぎる」とコメントしたり、月曜日には夫とバイバイした後にちょっと泣いている。エリックは保育園が好きじゃないのは周りには明らかだ。でも、毎日送り迎えしている夫は、「確かにひとりで遊んでいるときもあるけれど、お友達といっしょに遊んでいるときもある。エリックは3人ほどの(ラフな)男の子がキライだけれど、他の子どもたちとは問題なく遊んでいる」と言う。とくに英語をしゃべる女の子と遊ぶのは好きで、その子の話はよくしている。


保育園はきらい。できることなら行きたくない。でも、私も夫も仕事があるからどうしても行かないといけないことは、エリックもわかっていて、「エリちゃん、本当は行きたくないけど、行かないとみんなが困るしね」というコメントもする。


また、エリックはこうも言っている。
I’m not learning anything. We are just playing all day.

トロントのキンダーガーデンでは数字を習ったり、読み方をならったり、コンピュータ、音楽を習っていたのに、今の保育園はたしかにそういう組織的学習がまったくない。これは私も気になっているのだが、その大きな理由はエリックには組織的に環境がととのった場所の方が快適に感じられるからだ。


まあ、こういう状況なので、ちょっとかわいそうに思っている私に、夫は「今は辛い時期かもしれないけれど、この辛い時期を乗り越えようとエリックもがんばっている。この時期を乗り越えることができれば、強くなるはず」と、懸命にエリックにいろんなおはなしを聞かせて(とくにエリックの好きなマックイーンを使った教訓的なおはなし)サポートしている。


話を吃音に戻すと、エリックの吃音は保育園のストレスと大きく関係している、というのは明らかで、今のところ、夫の「おはなし」や「気の療法(?)」やIP療法などのサポートをしながら、経過を見守っている。

Friday, May 11, 2012

最近の様子(4歳11ヶ月)



Cherry blossoms on Kiyamachi
 日本に来てほぼ4ヶ月。かなりスムースに新しい文化に来て育っている、と思いきや、数週間ほど前から吃音が始まった(保育園に入って約1ヵ月後)。ひょっとしてどこかでストレスを感じているのかと気になりつつ、当面は柔らかく「あせらないでゆっくり言うように」伝えながら様子を見ることになっている。保育園の同じクラスで英語のできるお友達を見つけて、いっしょに楽しく遊んでいるらしいが、「それじゃあ日本語の練習にならないじゃない!」と私の心境は複雑・・・。家庭では英語が大半なのだが、ときどき園で覚えた日本語のうたを歌ったり、掛け声や食前のお祈りなんかを日本語でしゃべっていることもある。家庭では英語、外では日本語、という感じに徐々になりつつある。

・主要言語は引き続き英語

・私とエリックの会話は私(日本語)、エリック(英語+少しの日本語)。夫とはもちろん英語。家庭の外では日本語をがんばってしゃべる努力をしているらしい

・吃音が出てきた。文頭の語が繰り返されるパターン。(I, I, I…となっている)夫に言われて気付いたので、そこまでまだひどくないのだろうけれど、GW明けに少し加速したようだと夫と言っている

・ひとりで遊んでいるときに「おとうばんさん、ありがとう」とか「あしたも元気できてください」など、園で聞いて覚えたフレーズを言うように

・コードミクシングに関しては今までどおりあるけれど、かなり単語レベルでのミクシングになっている様子

・英語は過去形、単数・複数形、代名詞、所有名詞などをおよそ正しく使っている。不定形の過去形の間違いがたまにある(winの過去形wonがwinedになったり)(継続)

・引き続き、比較級の使い方(more bigger)にも間違いがある(継続)

・所有格mineがminesになっていたのは解消されたかも

・アルファベットを書く速度ははやくなった。まだときどきCの向きが反対になることがある

・絵を描くのが好き。色の使い方がきれい。人や木、建物などを抽象的に描くようになった

・ひとりでシャワーが浴びられるように。せっけんで顔が洗える

・以前はよく食べていたのに、日本に来たと同時に食が細くなった。こてこての日本の食べ物があまり口にあわない様子(わらびもちやおもち系の甘いものは大好き)。食べないと同時に、食べるのにとても時間がかかる

・よく走る。よく歩く。ころぶこともあまりなくなった。山歩きやハイキングが好き。

・Lightening McQeen(これでいい? Cars?)が大好きで、アンパンマンはキライらしい

・ひとりのときに絵本をじいっと眺めてはページをめくっていることが増えた

・保育園に行くようになってお昼寝が復活して、寝る時間が遅めになってしまった

Wednesday, May 9, 2012

日本で始まった吃音

数週間前に夫が言った。「エリックの吃音に気づいた?」

そう言われてみれば確かにそうだ。文頭のIを何度も繰り返したりして、ときどき、しどろもどろのスピーチに聞こえることがある。急いで言おうとしているんだけれど、言葉がそれについていかない、という感じだろうか。


夫は吃音はストレスと関係があると言う。確かに、これは日本に来てから表面化した問題である。エリックにとってはまったく新しい文化にやってきてこの文化独特の習慣ややり方があるなかで、いろいろなストレスに直面しているに違いない。そうしたそぶりはまったく見せないことに、実は私も驚いていた。ただ、表面的には順調に適応しているように見えても、実は見えないところでストレスがあるのかもしれない。


夫が言うには、吃音は指摘したりからかったりするとますますひどくなる傾向があるので、そういうことは絶対にせず、「ゆっくり」とか「Slow down」という言葉を繰り返しかけることが必要であるという。しばらくはこれで様子を見てみよう、ということになった。


確かに、私も以前読んだことがあるが、吃音は一時的であることが多いので、しかったり、注意したり、言いなおしをさせたりすることはむしろ害があるだけで、親があせらず対処することが肝要であるらしい。何でも同じだけれど、やめさせたい行動に特別な注意を向けると、かえってやめさせることは難しい。なので、できるだけ普通に対処することが大切。それに、親は日ごろから、子どもが何か説明しようとするときに先回りして言ったりするのを避けることも必要だとか。ふーむ、私、これをやってきたのかもしれない・・・。


さらによく考えてみると、ときどきエリックのいうことが理解できないことがあって(私にとっては英語だし、やはりたまに発音が間違っていることもある)、そのときに彼は一生懸命に説明を試みるのだが、最後までわからないとこっちがあきらめて、「ちょっとよくわからないなあ」と話を打ち切ったりしたこともある・・・。お料理とか、何かやっているときに話しかけられて、それが分かりにくいと「ちょっと、今、忙しいからやめて」と言ったりもした・・・。


こんなことを考えていると、育児に関する問題では決まってそうなのだが、「親である私のやり方が悪いんじゃないか」というところにたどりつく。子育てに関しては100%自信をもってやるってことは自分だけのことに比べて数段、難しい。


私の観察では、英語を話すときによく吃音があらわれているように思うが、日本に来て3ヶ月の現在も、未だにエリックの主要言語といえば英語で、長い文章になると日本語では伝えられないようなので、そのために英語の方が吃音が多いように思うのかもしれない。


確か2歳くらいのときにも吃音があり、そのときはトロント市のPublic Healthのナースからは同じようなことを聞いて、しばらく様子を見ているうちに、徐々に気にならなくなった経緯がある。ただ、前回は言葉がどんどん出始めたころでプレイグラウンドでもよく「そのくらいの吃音はよくあることよ」と言われたものだ。今回は5歳直前ということでちょっと気にならなくもない。


それで思ったのだが、こういうとき日本では誰に相談すればいいのだろう。トロントではこうした子育てに関する心配事を受け止めてくれるリソースが驚くほど身近にあったのだなあ、と今になって思う。


昨日から、夫はエリックの吃音が出ると「ほら、そういうときは気持ちが焦っているのかもしれないから、落ち着いてゆっくり話してみよう」と辛抱強く言ってきかせるようにしているのに、私は気付いた。きっと少し話したのかもしれない。私も子どもの話をしっかり聞くように、先走ってこちらから先に言わないように、気をつけておこう。