Sunday, May 22, 2011

「ほめて育てる」ジェネレーション


昨日、私が母と電話をしている後ろで遊んでいたエリックがやって来て「I want to talk to ばあば」と言った。受話器を渡して耳をすませていると、「Hi じいじ(間違えている)」と言って、ばあばが何か話していたが、ふと、ばあばの「エリちゃん、日本語できないねえ」という言葉を聞いた。エリックは「そう」と言ってちょっと笑っていたが、この言葉に、私は心底、驚いた。

たしかにエリックは日本の同じ年齢の子どもと比べれば「日本語ができない」ということになるだろうし、ばあばとスラスラと話せるような会話力は到底備わっていない。でも、電話での会話というのは大人にも難しいものだし、エリックは日本で育っているのではない。私はこれまで「できない」という言葉を子どもに対する言葉として使ったことはない。「日本語ができない」とか「片づけができない」とか「あいさつができない」とか、そんなことは言った覚えはない。私が子どもだったら、こんな言葉は親から聞きたくない。

それで思い出したのだが、私が子どもだったとき、私はこういう言葉とともに育てられた。最近よく言われる「ほめて育てる」なんてもっての他で、何をしてもほめられた記憶がない。大人になった今、ほめられたいとは思わないが、子どもというのは親を含めた周りの大人に「認めてもらいたい」という気持ちが非常に強いように思う。なので、やっぱり子どもながらに私は不満を感じていた。

夫も同じようなことを言っていた。クラスで最もよい成績をもらってきてもYou can do betterと言われて、心に傷を負っていたのではないか、と。それが、今でも心の深いところに残っていて、必要以上に自信を失うことがある、と。

私もそうで、「ありのままの自分ではいけない」とずうっと長年思ってきた。今はかなり「それが私なのだもの」と開き直っているところもあるが、批判されると簡単にへこむところは今も変わってない(ただ、私は寝て起きるとケロッと忘れるので救われているのだけれどね・・・)。

彼らなりに最善の方法で育ててくれた親を批判するつもりはないし、これはきっとジェネレーションの違いなのだと思っている。今、私のまわりを見回してみると、やっぱりネガティブなことを子どもに言って育てている親はいない。「この子はこんなことができるのよ」と自慢げに言ってはばからない親はたくさんいる。そんな彼らの姿を見ながら、これはトロントだからなのだろうか、日本ではどうなのだろうか、という疑問がふと沸き起こってきた。

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