Thursday, June 16, 2011

父の日には誰に電話する?

夫は漢字の勉強、エリックはミニカーを動かして遊んでいる前で、新聞を読んでいた私はふと片隅の新聞広告を見て叫んだ。
「何とまあ! 今週は父の日なのね!」
そうすると、エリックが答える。
I know it because Christina told us that the Father’s Day was coming.
(知ってるよ。クリスティーナが言ってたもん。父の日はもうすぐだってね)
夫と私は驚いている傍らでエリックが続ける。
So, that means we need to call Granny and say Happy Father’s Day, Granny!
(・・・ってことは、グラニー=おばあちゃんに電話しなきゃね。そして、「父の日おめでとう、おばあちゃん!」って言わなきゃね)
やっぱりまだまだ社会のことが分かっていない・・・。

Saturday, June 11, 2011

最近の様子(4歳)

エリックも今日で4歳! 長かったような短かったような…。以前は本当にシャイだったのに、最近はお友達ともよく話しながら遊んでいるみたいだし、ちょっと性格が変わったかも。欲しいものが手に入らないとI don't like MommyとかYou are not my friendとか、I won't play with youなんて言って「うー!」みたいな、まるでネコが怒ったみたいな顔をしたり、叩こうと手をあげたりする。今、それを直すために私と夫ははっきりと「それはしてはいけないこと」とその都度示している。いくつかルールを決めて、確実にそれに従わせる時期が来たものと思っている。そのポイントは「その都度言い聞かせること」「夫と私が同じルールへの取り組みをすること」「いつも同じ取り組みをすること(例外をつくらないこと)」。

・主要言語は引き続き英語(先月の英語80%、日本語20%から、少し英語がまた増えたように思う)
・私とエリックの会話は私(日本語)エリック(英語+少しの日本語)で、私の言う日本語はほとんどすべて理解している
・私が聞き取れなかった様子を見ると、日本語で言いなおそうとする
・日本語で話している環境に置くと、自然と日本語の使用頻度が多くなる
・日本語の発音が日本語ネイティブらしくない
・いくつかの英語の発音(LとR、erなど)がそれらしくなってきた
・コードミクシングが頻繁に見られる。英語の文章のなかに日本語の単語を使うケースがよく見られる
・難易度の高い言葉や構文を日々覚えて使ってみようとする(英語)
・単数形と複数形、She/Heなどのいい間違いがかなり減った(英語)
・分からない言葉が出てくると「Desparateってなに?」とすかさず聞く
・声のボリューム調整ができなくて、公共の場でかなり大声で話したりする
・よく歌う。別の歌をミクシングして歌ったり、話していることを歌にしたり・・・
・P,O,H,I, F, E, L, R, Sに続き、C, A, Y, Lなどもを書き始めた(デイケアで教えてる?)
・CやLが反対になっている(書くとき)
・「す」が「しゅ」になる(「これ、しゅる?」)
・本を開いて、じいっと眺めていることがある
・数字が読める。6と9を時々まちがえている
・標識やサインが気になって、すぐに意味を聞く
・1から12まで数える(英語、日本語)
・乗り物が好き
・スキップらしいのをする
・「Shy」と自分で言う
・落ちているコインを探すのが好き。1日に1枚はどこかで見つけてくる
・いまだに絵らしい絵を描かない、というか形のないものばかり書いている
・塗り絵やパズルにまったくは興味がないというか、させてもできない

Sunday, June 5, 2011

「ほめて育てる」ジェネレーション

昨日、私が母と電話をしている後ろで遊んでいたエリック。すぐにやって来て「I want to talk to ばあば」と言った。受話器を渡して耳をすませていると、「Hi じいじ(間違えている)」と言っている。しばらくのあいだ、ばあばが何か話していたが、ふと、ばあばの「エリちゃん、日本語できないねえ」という言葉を聞いた。エリックは「そう」と言ってちょっと笑っていたが、この言葉に、私は心底、驚いた。

たしかにエリックは日本の同じ年齢の子どもと比べれば「日本語ができない」ということになるだろうし、ばあばとスラスラと話せるような会話力は到底備わっていない。でも、電話での会話というのは大人にも難しいものだし、エリックは完全な日本語環境のなかで育っているのではない。私は「できない」という言葉を子どもに対する言葉として使うことはない。「日本語ができない」とか「片づけができない」とか「あいさつができない」とか、そんなことは言わない。私が子どもだったら、こんな言葉は親から聞きたくないもの。

それで思い出したのだが、私が子どもだったとき、私はこういう言葉とともに育てられた。最近よく言われる「ほめて育てる」なんてもっての他で、何をしても親からほめられた記憶がほとんどない。大人になった今となっては、ほめられたいとは思わないが、子どもというのは親を含めた周りの大人に「認めてもらいたい」という気持ちが非常に強いものなので、やっぱり子どもながらに私は不満を感じていた。

夫も同じようなことを言っていた。クラスで最もよい成績をもらってきても、父親からYou can do betterと言われて、心に傷を負っていたのではないか、と。それが、今でも心の深いところに残っていて、必要以上に自信を失うことがある、と。

私も似たり寄ったりで、「ありのままの自分ではいけない」とずうっと長年思ってきた。今はかなり「それが私なのだもの」と開き直っているところもあるが、批判されると簡単にへこむところは今も変わってない(ただ、私は寝て起きるとケロッと忘れるので救われているのだけれどね・・・)。

彼らなりに最善の方法で育ててくれた親を批判するつもりはないし、これはきっとジェネレーションの違いなのだと思っている。今、私のまわりを見回してみると、やっぱりネガティブなことを子どもに言って育てている親はいない。とくにカナダの親は、「この子はこんなことができるのよ」と自慢げに言ってはばからない人がたくさんいる。そんな彼らの姿を見ながら、これはトロントだからなのだろうか、日本ではどうなのだろうか、という疑問がふと沸き起こってきた。

ポジティブ・ペアレンティングが今の潮流のようだし(少なくとも北米では)、私たちは今、きっと「ほめて育てる」ジェネレーションということになるのだろう。こうした子どもたちが育ったらどんな大人ができるのか、そうした人たちの形成する社会はどんな社会になるのか。興味深いものだ。

先は見えないもの。人生だってそうだもの・・・

先日、某紙某編集者から電話をいただいた。会話の内容は、本コラムの内容が「ぐるぐるまわっている」ようだけれど、「この先、どこに行くのか」が書き手の私には見えているのか、というものだった。このコメントには笑ってしまった。「日本語を話さない」問題にいまだに解決法が見えないことを指摘されたのだと思うが、正直なところ、私自身、この問題に解決法があるのか、「どこに行くのか」と聞かれれば、「私にだって分からな~い!」と答えざるを得ない。私にできることといえば、日々、この問題に手を変え品を変えしながら対応していく、ということでしかない。どこかに解決法が転がっていて、それを適用した途端、なんとまあ、エリックが日本語をペラペラっと話すようになる、というシナリオが存在しないことだけは確かだ。

前にも書いたが、私たちは漠然と「子育てには答えがある」と信じ込まされている。高い教育教材やトイレトレーニングのやり方に誰かがピッタリ符合したからといって、すべての子どもにそれが当てはまるわけではない。しかし、それを親や子どもの能力のせいにしてしまって、「他の子ども(親)はできるのに、なんでうちの子(親である私)にはできないの?」と、まったく的外れの批判が出て、ストレスを感じることになったりする。

こんなときこそ、河合隼雄のことば「大人が真剣に子どもに接している限り、非常に大切なことを子どもから教えられることがあるものだ」を思い出したいものだ。問題に対する答えが出ればそれに越したことはないが、その取り組みのなかで親と子どもが人間として成長する過程だって私は同じように大切だと思っている。
さて、またまたこんなことを書くと「ぐるぐるまわっている」と言われそうなので、この辺で「ぐるぐる」論はやめにして、最近の観察の結果を報告してみよう。

ひとつ、あれから私が気付いたことは、エリックのなかでは「有用性」のランキングがある、ということだ。ことばは結局のところ、コミュニケーションの道具なので、それを使って自分の意思(やりたいこと)が成せるかどうかという点で、有用性が大切になってくるのは私にも容易に理解できる。1日の大半の時間を過ごすデイケアでも英語、どこに行っても英語が話されているのだから英語になるのは当然。実際「にほんごは、にほんで話すんでしょ?」とか、ここはカナダだから英語で話せばいい的なことを言われ、面食らってしまった。明らかに有用性の高い言語を選んでいるらしい。

たとえば、日本人のグループ(大人)のなかに連れていって、しばらく私たちの日本語会話を聞いているうちに、エリックの会話にもいつもより日本語が増える。あるいは、日本語で行われる講演会に連れていくと、日本語で会話をしようとする。つまり、言語環境によって自動的に頭が切り替わっているようなのだ。ただ、私ひとり相手ではそうはならず、いろんな人から日本語を浴びるように聞くことが条件らしい。・・・やっぱり日本語のデイケアの効果は期待できそうである。

子育てにおけるクリエイティビティ

前々回のコラムを読んだ友人からメールを受け取った。彼女のメールに深く考えさせられたので、今回はバイリンガル育児というトピックからはいささか外れるかもしれないが、「子育てにおけるクリエイティビティ」について書いてみたい。

すべてはエリックが日本語を話さなくなったことから始まった。私が受け取ったアドバイスやかき集めた情報は、この問題の対策として、①「おかあさんは英語がわからない」を貫く、②日本語プレイグループに連れて行く、③日本語のテレビを見せる、という点に絞られていて、他に何ひとつ目新しいアドバイスがないことは私には実に驚きだった。

さて、友人のメールには、「英語がわからない、と言うことを窮屈に感じている」私に共感する彼女の気持ちと、彼女の家庭での、それに対する取り組みが書かれてあった。子どもたちに「嘘をついてはいけない」と言いながら、「嘘をつく」ことはできないと夫婦で何度も話し合った結果、嘘なしで、できることを最大限しようという気持ちで現在はバイリンガル育児に臨んでいるという。バイリンガル教育以上に嘘をつくことが子どもに与える影響の方がよほど心配であること、最後に、子育てそのものがクリエイティブでなければならない、とくくられていた。

まったくその通りだ。2月の私のコラムは「これからは心して私独自のクリエイティブなやり方で日本語を教えていくしかないのだ、と新しい年に誓ったのであった」で締められているが、そのときの私の気持ちは「その3点以外に方法がない? そんなことがあるわけがない。必ず解決できる方法があるに違いない」という確信だった。と同時に、誰に聞いても答えが見つからないのなら、自分で探すしか方法はないのだという、ちょっぴり切羽詰った気持ちでもあった。

しかし、その「切羽詰った気持ち」に直面して初めて、私にはあることが見えてきた。これまで、巷に流れる子育てのアドバイスに、専門家のアドバイスに頼りすぎてはいなかったか。Problem Solvingは私の得意とするところではなかったか。どうして子育てに関してはそれが見えなくなってしまっていたのか。
結局のところ、この問題に直面して初めて、私は子育てに関する答えが巷に転がっている、という幻想をきっぱり捨てることができた。と同時に、誰かのアドバイスに頼ったり、誰かに頼ったり(日本語プレイグループ、日本語テレビ)する以上に、親としての観察を通して私たち親子に最適な解決法を探る必要性に迫られたと言えるだろう。逆に言えば、この問題が出てこなければ、私は自分で考えてものごとを解決するという、これまでずっと大切にしてきた自らの価値観を放棄してしまったかもしれない。

子育てのアドバイスは大いに参考にしたい。でも、私のバイリンガル育児は私自身が創っていこう。結局、親としての私や夫の価値観にあい、エリックの人格にぴったりな方法は、親である私たちがいちばんよく知っているはず。友人夫婦が何度も話し合いを繰り返したように、クリエイティブな試行錯誤の過程で、私もまた成長していかなくては・・・。それに気付いたとき、失いかけていた自信が再び戻ってきた気がした。

「日本語を話さない」に対する取り組み(Feb)

bits Magazineへこれまで掲載してきた「バイリンガルで育てる」コラムは、打ち切りとさせてもらいました。編集部から私の記事への内容にクレームが来たこと、感情的な攻撃をされたことが原因でした。とはいっても、私のバイリンガル育児が終わったわけではないので、今後はこのブログにてコラムを続ける予定です。
以下は、バックナンバーです。

思えば、このコラムは私のバイリンガル育児にとって、過去1ヶ月の報告書のようなものである。今回ももちろん、ここ数ヶ月「日本語を話さない」問題への取り組みに関する報告書。
まず、エリックの日本語は明らかに少しずつ戻ってきている。日常的に使う文章、簡単な文章なら日本語を使う頻度が増えたと同時に、コード・ミクシングが圧倒的に増えている。コード・ミクシング(Language mixing, Code mixing)は、2言語以上の環境で育っている子どもに見られる現象で、複数言語を混ぜて使うことを意味する。

3歳になったころは、
- I need そっちのやつ。Mommy とってplease.
のような感じだったが、現在では複雑な英語の文章に日本語が混入する形になっている。たとえばこんな感じ・・・。

「おっきい木の上にね、エリちゃんのおうちがあって・・・、There was a big Christmas tree in the house. Then りすちゃん came to visit me. りすちゃんが来て、いっしょにクリスマス・ツリーを見て・・・We had Christmas dinner together いっしょに・・・ (私:何食べたの?)うーんっと・・・チキンとRice あ、それでWe drink (sic) wine, Eric and りすちゃん。We had a lot of fun. たのしかったよ。After that, we watched the nice Christmas tree together ピカピカしてたの。 それからりすちゃんsaid bye-bye, and 帰って行ったの・・・。はい、おしまい。This is a nice dream. マミー、この夢、好き?」

コード・ミクシングはよくないと言われるけれど、片方の言語を補う形で使われる場合には、一時的なものらしいし、とにかく文章そのものがまったく英語だった12月に比べれば、日本語が入ってきているこの傾向を、私は無論、歓迎している。

さて、この1ヶ月間、私からどんな働きかけをしたかというと、まず、カレッジを休んでみた。結局、私と話をする時間が減っていることが(日本語話者は周囲に私だけ)大きな問題なのだ。同時に、ついつい物思いにふけりがちな私も、エリックといるときはできるだけ話をし、いつもの「なんで?」にもきちんと答えるよう心がけてきた。

もうひとつ、私が思いついた方法は、「おはなし」をたくさんしてあげること。雪が降れば「雪のゆきこちゃんのはなし」を、エリックが日常的に使っているもの(ラクーンぬいぐるみやペンギン・カップ)の「由来のおはなし」やら、何でもかんでも「おはなし」に仕立てて実にベラベラとでたらめな話をしてあげるのだ。エリックは実にこの「おはなし」の魔術にひき込まれたのか、すぐに「ここのクネクネ道のおはなし!」と催促するようになり、自分でも似たようなおはなしを繰り返してみようとすることもある。
さらに、故意にエリックの知らない言葉を使って、「それ何のこと?」と聞かれるのを待つ、という方法も使っている。気のせいかもしれないが、「偶然に」とか「道草・寄り道」などの知らない言葉が出てくると、気になるのか注意を向けるように思われる。

以上はほんの一例に過ぎないのだけれど、こうした実験的な試みを経て思うに、やはり英語が大半になったエリックだけれど、彼の頭のなかから日本語が消えているわけではない、ということ。せっかくこれまで育んだ日本語の火を消さないように・・・、ということで、さて、これからも実験は続きます・・・。