Sunday, June 5, 2011

「ほめて育てる」ジェネレーション

昨日、私が母と電話をしている後ろで遊んでいたエリック。すぐにやって来て「I want to talk to ばあば」と言った。受話器を渡して耳をすませていると、「Hi じいじ(間違えている)」と言っている。しばらくのあいだ、ばあばが何か話していたが、ふと、ばあばの「エリちゃん、日本語できないねえ」という言葉を聞いた。エリックは「そう」と言ってちょっと笑っていたが、この言葉に、私は心底、驚いた。

たしかにエリックは日本の同じ年齢の子どもと比べれば「日本語ができない」ということになるだろうし、ばあばとスラスラと話せるような会話力は到底備わっていない。でも、電話での会話というのは大人にも難しいものだし、エリックは完全な日本語環境のなかで育っているのではない。私は「できない」という言葉を子どもに対する言葉として使うことはない。「日本語ができない」とか「片づけができない」とか「あいさつができない」とか、そんなことは言わない。私が子どもだったら、こんな言葉は親から聞きたくないもの。

それで思い出したのだが、私が子どもだったとき、私はこういう言葉とともに育てられた。最近よく言われる「ほめて育てる」なんてもっての他で、何をしても親からほめられた記憶がほとんどない。大人になった今となっては、ほめられたいとは思わないが、子どもというのは親を含めた周りの大人に「認めてもらいたい」という気持ちが非常に強いものなので、やっぱり子どもながらに私は不満を感じていた。

夫も同じようなことを言っていた。クラスで最もよい成績をもらってきても、父親からYou can do betterと言われて、心に傷を負っていたのではないか、と。それが、今でも心の深いところに残っていて、必要以上に自信を失うことがある、と。

私も似たり寄ったりで、「ありのままの自分ではいけない」とずうっと長年思ってきた。今はかなり「それが私なのだもの」と開き直っているところもあるが、批判されると簡単にへこむところは今も変わってない(ただ、私は寝て起きるとケロッと忘れるので救われているのだけれどね・・・)。

彼らなりに最善の方法で育ててくれた親を批判するつもりはないし、これはきっとジェネレーションの違いなのだと思っている。今、私のまわりを見回してみると、やっぱりネガティブなことを子どもに言って育てている親はいない。とくにカナダの親は、「この子はこんなことができるのよ」と自慢げに言ってはばからない人がたくさんいる。そんな彼らの姿を見ながら、これはトロントだからなのだろうか、日本ではどうなのだろうか、という疑問がふと沸き起こってきた。

ポジティブ・ペアレンティングが今の潮流のようだし(少なくとも北米では)、私たちは今、きっと「ほめて育てる」ジェネレーションということになるのだろう。こうした子どもたちが育ったらどんな大人ができるのか、そうした人たちの形成する社会はどんな社会になるのか。興味深いものだ。

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