Sunday, June 5, 2011

子育てにおけるクリエイティビティ

前々回のコラムを読んだ友人からメールを受け取った。彼女のメールに深く考えさせられたので、今回はバイリンガル育児というトピックからはいささか外れるかもしれないが、「子育てにおけるクリエイティビティ」について書いてみたい。

すべてはエリックが日本語を話さなくなったことから始まった。私が受け取ったアドバイスやかき集めた情報は、この問題の対策として、①「おかあさんは英語がわからない」を貫く、②日本語プレイグループに連れて行く、③日本語のテレビを見せる、という点に絞られていて、他に何ひとつ目新しいアドバイスがないことは私には実に驚きだった。

さて、友人のメールには、「英語がわからない、と言うことを窮屈に感じている」私に共感する彼女の気持ちと、彼女の家庭での、それに対する取り組みが書かれてあった。子どもたちに「嘘をついてはいけない」と言いながら、「嘘をつく」ことはできないと夫婦で何度も話し合った結果、嘘なしで、できることを最大限しようという気持ちで現在はバイリンガル育児に臨んでいるという。バイリンガル教育以上に嘘をつくことが子どもに与える影響の方がよほど心配であること、最後に、子育てそのものがクリエイティブでなければならない、とくくられていた。

まったくその通りだ。2月の私のコラムは「これからは心して私独自のクリエイティブなやり方で日本語を教えていくしかないのだ、と新しい年に誓ったのであった」で締められているが、そのときの私の気持ちは「その3点以外に方法がない? そんなことがあるわけがない。必ず解決できる方法があるに違いない」という確信だった。と同時に、誰に聞いても答えが見つからないのなら、自分で探すしか方法はないのだという、ちょっぴり切羽詰った気持ちでもあった。

しかし、その「切羽詰った気持ち」に直面して初めて、私にはあることが見えてきた。これまで、巷に流れる子育てのアドバイスに、専門家のアドバイスに頼りすぎてはいなかったか。Problem Solvingは私の得意とするところではなかったか。どうして子育てに関してはそれが見えなくなってしまっていたのか。
結局のところ、この問題に直面して初めて、私は子育てに関する答えが巷に転がっている、という幻想をきっぱり捨てることができた。と同時に、誰かのアドバイスに頼ったり、誰かに頼ったり(日本語プレイグループ、日本語テレビ)する以上に、親としての観察を通して私たち親子に最適な解決法を探る必要性に迫られたと言えるだろう。逆に言えば、この問題が出てこなければ、私は自分で考えてものごとを解決するという、これまでずっと大切にしてきた自らの価値観を放棄してしまったかもしれない。

子育てのアドバイスは大いに参考にしたい。でも、私のバイリンガル育児は私自身が創っていこう。結局、親としての私や夫の価値観にあい、エリックの人格にぴったりな方法は、親である私たちがいちばんよく知っているはず。友人夫婦が何度も話し合いを繰り返したように、クリエイティブな試行錯誤の過程で、私もまた成長していかなくては・・・。それに気付いたとき、失いかけていた自信が再び戻ってきた気がした。

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