3人の息子さんを立派に育てあげたハミルトンの友人が、あるとき、日本語を教えられなかった1番上の息子さんのことについて話しているときに「みんな簡単に、どうしてあの子は日本語ができないの、と聞くけれど、そんなに簡単なものではないのよ」と言ったことがある。
彼女によると、周りから言語発達の遅れを指摘されたこともあり、息子さんが「二カ国語で話しかけられているので混乱しているのでは」と懸念したことがきっかけで、日本語をきっぱりとやめてしまったという。今から20年以上前の話である。
そういえば、先日、ラジオを聴いていると、現在60代になるメキシコからの移民の人が、孫の世代に継承言語としてのスペイン語をしっかりと教えたいという思いからインフォーマルな学校を設立したというエピソードが語られていた。その人は、カナダへ来た当時、周りから「英語を学ばせようとするなら、スペイン語は教えない方がいい」と言われ、子どもにはまったくスペイン語を教えなかったと言っていた。 実は夫も、父親の母国語であるセルビア語を教えられていない。
「子どもたちは二カ国語で話しかけられても混乱しない」というのが常識となったのは、わずかにここ10年ほどの話であり、それ以前は、移民家庭は英語を学びカナダ社会に同化しようと必死なあまり継承言語を教えないのが普通だった。
現在はというと、市から派遣されるパブリックナースのシャーリーはことあるごとに「外で日本語を使うのはちょっと・・・という気持ちがあったとしても日本語で話しかけなさいね。あとあとになってエリックはそのことに感謝することになるから」と言うほど、公式に「家庭でのバイリンガル教育」を推進しているように思われる。このことは、シャーリーが言うように、「二言語で育つ子どもは、言語発達において混乱することはない」という最近続々発表される数々の研究結果に基づいている。
私が最近読んだ新聞記事によると、バイリンガル環境で育つ子どもたちには、一時的に二言語を混同して使う時期がある、しかし、その時期をいずれ通り越したところで、バイリンガリズムが習得される、とあった。発音、文法も構文のなりたちも違う2つ(あるいは3つ)の言語は、いずれ自然と差別化されていくらしい。さらに、こうした脳の差別化機能は、二言語を使う以上に、さらに複雑な情報を差別化したりカテゴリーわけしたりするのに非常に有効に働く、と記事ではくくられていた。
10年前とは違い、家庭でのバイリンガル教育が推進される今という時代に子育てができることに感謝。
写真:7月3日、グリーンピースのピッキングにいそしむエリック
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