ある日、近所の公園でエリックを遊ばせていると、4歳のリチャードのお母さんクリスティーナがやってきてこう言った。
「エリックはどうもシャイな子のようね」
確かにエリックはシャイなのだけれど、私はエリックの前では「シャイ(内気な、大人しい)」という言葉を使わないようにしている。というのも、私は小さいころからまわりからレッテルを貼られるのが嫌で嫌で仕方なかったから(私の場合「変わってる」だった・・・)。そして、そのレッテルを繰り返し繰り返し聞かされているうちに、自分でもそれを信じるようになった経験があるから。夫がいつも言うように「He is who he is. He is perfect as he is(エリックはそのままで完璧)」と感じられるように、少なくとも私と夫はエリックの人間性を規定するような形容詞は使わないようにしているのだ。
なので、「シャイ」と聞いた私は
「リチャードはどうなの?」
と話をかわそうとした。
「今はとっても社交的で、見知らぬ子とも簡単に友達になるけれどね、実は以前はまったく違ってたのよ」
と言って、こう話しはじめた。何でも、クリスティーナの家族は2年前に中国からトロントに移住したらしい。リチャードは当時2歳。家庭ではもちろん広東語を話していた。頻繁に外で遊ぶようになったころから、彼女はリチャードがシャイで、まわりに子どもがやってくると逃げ隠れすることに気付き始めた。その原因は、英語が理解できないからなのではないか、と思い、夫と話し合って、家で広東語を話すのを完全に止め、英語で会話をすることにしたという。しばらくすると、リチャードは外に出て元気に遊ぶようになって、周りの子どもたちにも話しかけ、上手にわたりあっていけるようになったという。
「だからあなたも英語だけで話をするようにすれば、エリックも社交的になるわよ」
まあまあ、根拠のないことを! と気になった私は、それでも最近年を重ねるにつれ、路上での見知らぬ輩との口論がいかに無為であるかを認識するに至り、「新天地ではその地の文化により早く適応するように、母国語で子どもに話すのはやめなさい、と移民がいわれていたのはかれこれ20年も前の話で、今では移民家庭はもとより、単一言語の家庭であってもバイリンガル教育を小さいころから始める家庭が増えているのよ。それにこのマルチカルチャー・トロントでは、ほとんどの子どもが同時に二言語を学んでいるのよ・・・」といったことを口にするのは控えた。もちろん彼女は私がどうやって言語習得がなされるのかといった過程やバイリンガリズムに関心のある事実など知らないのだし、私がせっせとエリックの言った言葉を筆記していたり、夜中過ぎのブロガーである事実も知らないのだ。なので、
「それじゃ、リチャードは広東語を理解しないで育っていくわけ?」
と訊いてみた。
「大きくなって、自分で勉強したいと思えば、そのときに始めればいい。私が10代で英語を勉強しはじめたのと同じようにね」
私に関して言えば、10代で英語を勉強しはじめた経験は、いかに困難であったか! いかに多くの難問に直面したか! いや、未だに苦労しているのだからね。憎らしきはLとR・・・。それを思うと、同時に二言語を習得できるチャンスの備わったエリックにはそのチャンスを与えてあげたい。
「エリックはどうもシャイな子のようね」
確かにエリックはシャイなのだけれど、私はエリックの前では「シャイ(内気な、大人しい)」という言葉を使わないようにしている。というのも、私は小さいころからまわりからレッテルを貼られるのが嫌で嫌で仕方なかったから(私の場合「変わってる」だった・・・)。そして、そのレッテルを繰り返し繰り返し聞かされているうちに、自分でもそれを信じるようになった経験があるから。夫がいつも言うように「He is who he is. He is perfect as he is(エリックはそのままで完璧)」と感じられるように、少なくとも私と夫はエリックの人間性を規定するような形容詞は使わないようにしているのだ。
なので、「シャイ」と聞いた私は
「リチャードはどうなの?」
と話をかわそうとした。
「今はとっても社交的で、見知らぬ子とも簡単に友達になるけれどね、実は以前はまったく違ってたのよ」
と言って、こう話しはじめた。何でも、クリスティーナの家族は2年前に中国からトロントに移住したらしい。リチャードは当時2歳。家庭ではもちろん広東語を話していた。頻繁に外で遊ぶようになったころから、彼女はリチャードがシャイで、まわりに子どもがやってくると逃げ隠れすることに気付き始めた。その原因は、英語が理解できないからなのではないか、と思い、夫と話し合って、家で広東語を話すのを完全に止め、英語で会話をすることにしたという。しばらくすると、リチャードは外に出て元気に遊ぶようになって、周りの子どもたちにも話しかけ、上手にわたりあっていけるようになったという。
「だからあなたも英語だけで話をするようにすれば、エリックも社交的になるわよ」
まあまあ、根拠のないことを! と気になった私は、それでも最近年を重ねるにつれ、路上での見知らぬ輩との口論がいかに無為であるかを認識するに至り、「新天地ではその地の文化により早く適応するように、母国語で子どもに話すのはやめなさい、と移民がいわれていたのはかれこれ20年も前の話で、今では移民家庭はもとより、単一言語の家庭であってもバイリンガル教育を小さいころから始める家庭が増えているのよ。それにこのマルチカルチャー・トロントでは、ほとんどの子どもが同時に二言語を学んでいるのよ・・・」といったことを口にするのは控えた。もちろん彼女は私がどうやって言語習得がなされるのかといった過程やバイリンガリズムに関心のある事実など知らないのだし、私がせっせとエリックの言った言葉を筆記していたり、夜中過ぎのブロガーである事実も知らないのだ。なので、
「それじゃ、リチャードは広東語を理解しないで育っていくわけ?」
と訊いてみた。
「大きくなって、自分で勉強したいと思えば、そのときに始めればいい。私が10代で英語を勉強しはじめたのと同じようにね」
私に関して言えば、10代で英語を勉強しはじめた経験は、いかに困難であったか! いかに多くの難問に直面したか! いや、未だに苦労しているのだからね。憎らしきはLとR・・・。それを思うと、同時に二言語を習得できるチャンスの備わったエリックにはそのチャンスを与えてあげたい。
そう、結局のところ、親のチョイスなのだ。まわりの人はあれこれ言うだろうけれど、私は今後も日本語で話しかけたり歌ったりするつもり・・・(やったね、意思未だくじけず!)。
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