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Saturday, December 15, 2012

文字を教える(英語)

トロントにいるときは私が少しずつアルファベットを教えていたが、日本に来てから同じ年齢の子どもが上手に日本語を読んでいるのを見て「何かすべきなんだろうか」と思いつつ、文字を教えてきていなかった。なので、最近、エリックがアルファベットを読もうとするのを見て驚いた。



日本語は見た文字をそのまま音声にすればいいが、英語の場合はそれを音声に直すという作業が必要である(なので、日本人は話せばだいたい書けるが、英語話者では話はできても書けない人の率が高いので、何も日本の識字率の高さが教育だけに拠るわけではない)。だから、ひらがなが書けることと、アルファベットが書けるのは、また、日本語で話していることが書けるのと英語の話し言葉をアルファベットで書けるのは根本的にレベルが違うのだ。



夫は、まずアルファベットの音を子どもに教えていた。たとえばCを指して、「ック」「カッ」というような音(カタカナにすると難しい)をまず覚えようとさせる。それから、ふたつ、あるいは3つ以上のアルファベットを組み合わせた文字CATなどを音どおりに発音させていた。これが本当に時間のかかる作業で、いつになったら文字を読めるんだろう、と気が遠くなるように感じたものだ。ただし、夫も時がくれば問題なくほとんどの子どもは文字が読めるのだから、そんなに急いで教えなくてもよいという考えだった。



KISではどうやら文字の読み方を習っているようで、最近は文字を見てはとにかく音声にして練習しようとしている姿を頻繁に見るようになった。最近では、自分の知っている簡単な文字は読めるものもある。もちろん、音声にしようと思ってもなかなかつながらない場合もある。



それで思うのだが、文字はいつから教えるのがいいのだろう。英語の場合、アルファベットが書けるのは単に暗記によるに過ぎない。それが音声と結びついて意味を成すことを理解しなくては、文字を書くことにつながらないのではないか。だから、音声の面で比較的きちんとしゃべれることが基盤になるのではないだろうか。専門書を読んだわけではないので、何ともいえないが、文字を教えることはたぶん後になってからでもまだ大丈夫で、今のうちは音声を正しく教えること、受け答えやストーリーなどで会話が成り立つスキルを身につけさせるのも大切なことなんじゃないか、という気がしている。

Friday, December 16, 2011

本を読む子どもに育てる

高齢出産を経て、高齢育児をしている私としては、子どもとの遊びで、たとえば鬼ごっこや走り回ること、などは体力的にかなりキツく感じる。そんな私が子どもと過ごす時間のうちでいちばん楽しい時間は一緒に本を読む時間。厳密にいえば、本を読んであげること。最初は「マミーは日本語の本しか読まないわよ」と言っていたが、最近では図書館に行ってはおもしろそうな本を借りてきて、何でもかんでも読んでいる。子どもの本って、案外と難しい言葉が出てきたりして、私の英語の勉強にもなる。


エリックの好みは、ハッピーエンドでおわる話、登場人物が傷ついたり、悪い人でも死んだりしない話、いじわるをしない話など(「おおきな木」は木が切られるので泣く)。ノンフィクションでは「車関係」の本(これだけは勘弁して~)と「虫」の本(気持ち悪いんだけど・・・)。


カナダでは、寝る前に子どもに本を読んであげることは、親として当然の「役目」と考えられている。小さい頃から(生後すぐ)読み聞かせをすることが、子どもの将来に大きな利益をもたらしてくれるというのも、常識のようになっていて、子どもを持つ友だちに聞いても実に子どもによく本を読んであげている。


実際、研究によれば、本を読むことが好きな子どもーとくにフィクションが好きな子どもーすぐれた読み手であるのみならず、学校での成績もよく、将来的に責任ある市民になる可能性が高いという。


こうした情報も社会に浸透しているし、学校でも本を読むことは何よりも奨励されている。幼稚園でも、週に一度は図書館に行ったり、別の1日は上級生の「リーディング・バディ」が来て本を読んでくれたりする。


1998年から99年の調査結果によれば、「読書が好き」と言った子どもは、グレード3で76%、グレード6では65%だったが、2010から2011年になると、この数字は半減しているという。比較的本をよく読んでいるカナダの子どもたちも、活字離れの傾向に向かっているのだろうか。

Monday, October 24, 2011

遊びながら学ぶ(私もね・・・)

ここ数週間のあいだ、私はエリックにアルファベットの読み方を教えようと何度かトライしてみた。数字に関しても同じように数え方と数に対する理解を促そうと、こちらもやってみた。

結果、分かったことは・・・、まず、この年齢の子どもの集中力は侮れない、ということ、それから学んでもらおうと思えば、遊びの要素を取り入れなくてはならない、ということ。

たとえば、数週間前、私はエリックにいくつかのアルファベットが一緒になったらどんな音になるのかを教えようとしていた。数の数え方と数字の読み方を一致させることも。しかし、「CとAとTでキャットになる」というやり方ではいけないのだと気付いた。それで、お友達の名前をカードに書いて、あるいは交通標識(STOPとか)をカードに書いて発音と照らし合わせるという方法をやってみると、やっぱりこちらの方がエリックも楽しいらしい。また、数字だって、1から10まで書いた紙の上に、その数だけどんぐりを乗せる、というやり方だと楽しくやっている。無味乾燥な机に座ってやるような教え方はあまり意味がないのだと、頭では分かっていたけれど、こうしてみるとそれが本当に実感できた。

それに、集中力もすごい。じいっと真剣にやっている姿を見ていると感動的ですらある。そして、途中でできないからといってあきらめるのでなく、「最後までやりたい」という「やる気」も感じられる。このくらいの年齢の子にはそうした集中力と自分でやりたいというやる気が備わっているのだとつくづく感じる。

ただ、私の目にはあまりに簡単に見えることが、できないときには私もなんでだろう、と思う。なぜこれができないんだろう、と本当に心から不思議に思う。そんなときは、子どもをしっかり観察して、できない問題を捉えることが大切なのだと思う。でも、もし「なんでこんなに簡単なことができないの!」とか「これくらいできて当然でしょう!」と言うのなら、教えない方がいい。それなら、学校に任せる方がいい。今は「がんばってやってできた」喜びを経験させることのほうがずっと大切だし(時期がくればほとんどの子が読んだり書いたりできるようになるんだし)、その経験は「数字が書ける」よりずっとずっと貴重な経験として、Love of learningにつながっていくのだと思う。

子どもの姿から学ぶこと多き日々・・・。

Monday, September 26, 2011

読み書きについて

JK(幼稚園年少組)に入ったエリックを送って行ったとき、教室に入った子どもたちが大きなノートブックに自分の名前を書いているのを見て不思議に思った。すぐに分かったことだが、これは子どもたちのSign inのノートで、子供たちは、教室に来たときに自分の名前を書くことになっている。他の子どもたちが上手に自分の名前を書いているのを見て、私は一瞬パニックに陥ってしまった! エリックは何とか自分の名前は書けるものの、文字の大きさ(ものすごく大きい)や、スペーシング、Cが反対になったりすることもある…という点ではかなり心配が残るのだもの。

その後、なかには自分の名前を書けない子もわずかながらいることが分かったが(そのときは先生が点線で名前を書いてあげ、そのうえをなぞるようにしている)、このことから私のなかではJKに入る時点で自分の名前が書けることが期待されているのかもしれない、と思って、今までエリックに文字の読み書きを教えていなかった私は焦ってしまった(夫は遊ばせながら教えていたようだが)。さらには、最近、文字が2歳で読めるようになったという知人のお子さんの話も聞いた。


そして、それから数日後のある日、エリックに文字の書き方を教えようと思って、エリックを椅子に座らせた。ABCの歌は歌えるので、それをまず歌って、「今日はPまで」と思って私が最初に書いてみて、「はい、同じように書いてみて」と言って書かせると、まあまあ上手に書いた。でも、そのあと、「今度は自分で書いてみて」と言って書かせると、すでにDでつまづいている! 「D…」といって考えているけれど、思い浮かばないらしい。私が書いたものを見せて、自分でDを拾ってくるように言って、書かせる。それを繰り返してみると、DとJが書けない。ほかにもあやふやなものもいくつかあるし、KはKに見えない。それに、とにかく時間がかかる。それを何度か繰り返していくうちに、早くなるだろうという私の期待は見事はずれ、私もいらいらっとしてきて最後には「ちょっと、さっきそれ書いたばかりじゃない!」と怒ってしまった。そうすると、エリックはそれまでは何だかんだと楽しそうにやっていたのに、「Don’t say that!」と言って気まずい雰囲気に…。


私、このときのことは今も大いに反省している。

その後、「さ、ちょっとABCやってみようか」と言うと、No!と言われ、It is too difficult for Ericと言われ、拒否された。やっぱりあの経験がいやな記憶として残っているらしい。


私には「アルファベット26文字くらいがなぜすぐに覚えられないのか」が分からない(日本語なんて50音よ!)。「なぜ、文字の大きさがまちまちなのか」が分からない。そう考えると、いらいらしてくる。でも、夫とこのことについて話したのだが、彼にいわせるとHe’s just four!ということで、1ストロークも大変な努力を要するという。幼少の子どもにものを教えるのと高校生にものを教えるのとでは、やり方を変えなくてはならない、とも言われた。たしかにそうなのだと思う。But how?


後日、エリックの幼稚園の先生Ms. Tuffと話をしたときにこのことを言うと、彼女は「授業のような形で読み書きを教えるのは個人的には推奨しない」と言って、「エリックの性格をみると、あまりプッシュしないほうがいい」と続けた。そして、この時期は遊びながらのほうが学ぶ意味は深いと言って、遊びの要素を加えながら文字を教えるなら教えてゆくほうがいい、とアドバイスをしてくれた。


そして、その日にあったことや拾ってきた木の葉などでつくるジャーナルを一緒につくることを勧めてくれた。それはとてもよいアイデアだと思うので、やってみようと思う。


アルファベットを教えたい、という気持ちの底には、それを待って、次に日本語の読み書きを教えたい、という気持ちがある。英語と日本語の読み書きを同時に教えるより、英語のあとで日本語を教えようという計画があるからだ。


ひとつ、あのときの失敗から、私はエリックが思った以上に長い時間、ひとつのことに集中して何かをすることができるのだということにも気付いた。ということから、授業スタイルでなくて、遊びのなかから文字の読み書きを教えてゆこうと思っている。

Tuesday, September 6, 2011

とんちんかんな会話、読み・書き、およびその他諸々

とんちんかんな会話
この年ごろの男の子らしく、Fire Truck(消防車)が好きなエリックは、昨日、Fire truckやFire menのことを話していた。どうしてFire truckが来るのか、とか、アラームが鳴ったらFire menはどうするか、といったようなことはFire truckの本でよく知っているはずなのに、こう聞くのだ。
「Fire men(消防士)は、何をするの?」
そのあとの会話はこんな風だった。
私:「火事を消すために水をかけたり、中で逃げられない人たちを助け出してあげるんじゃないの?」
E:「Potato bugs(だんご虫)も?」
私: 「は?」
E: 「Potato bugsも助けてあげる?」
私: 「だんご虫? だんご虫は助けないだろうね」
E: 「スパイダー(蜘蛛)は?」
私: 「それも助けないだろうね」
E: 「なんで?」
私: 「だって、虫だもん。Fire menは虫を助けるためじゃなくて、人を助けるために働いているからよ」
E: 「じゃ、なんで猫や犬は助けるの?」
私: 「そうなの?」
E: 「We have the book about fire truck rescuing doggies…」

エリックとの会話はしばしば「とんちんかん」な会話で、私はこういう会話をしながら、時に不安に襲われたることがある。日本語環境で育っていると、こんな会話をしないのではないか?という不安である。夫に言うと、「それは4歳児だから自然だよ」と言っているのだけれど。英語でもこんな「ズレ」のある会話をしているらしい。

読み・書き
今日は9月6日で、子どもたちにとっては新学期。今日のGlobe紙を読んでいて分かったことだが、当地では小学校にあがるまでには文字が読めて、ある程度は書けて、数を数えられるのが普通らしい。つまり、幼稚園(Kindergarden)で、文字の読み・書きの基礎を教えているということだろう。私は小学校にあがってはじめて文字を習ったけれど、それはもう遠い昔のお話。今は、小学校にあがるまでに文字が読めて書けるのがカナダでも日本でも普通らしい。英語に関しては、今週からエリックもJK(Junior Kindergarden幼稚園年少組)が始まるので、そこで習うからいいとして、さて、日本語の方はどうしよう? 私が教えるしかないのだが、いつ始めよう? まずは英語が読めるようになってからの方が楽だろうな、と今のところゆったり思っている。

JKが始まる
エリックも今週から幼稚園、JKが始まる。2ヶ月ほど前には、キンダーガーデンの先生からエリック宛にお手紙が届いて喜んでいた。先生の名前も頭のなかにしっかり入っていて、先日、グラニー(おばあちゃん)に「先生の名前は?」と聞かれてきちんと答えていた。
しかし、このキンダーガーデン、私にとっては頭痛の種。というのも、1日にわずか2時間半を週5日。週2日デイケアに行っているエリックは、デイケアのスタッフに送り迎えをしてもらえる組に入れず(パートタイムなので)、私が送り迎えをしなくてはならない。なので、私もこの生活のリズムに慣れるまでに時間がかかるだろう。

明日は、キンダーガーデンの先生と初めて会うミーティングがあって、エリックもちょっぴり楽しみにしている。JKのLearning goalやScheduleなど、私もいろいろと知りたいことが盛りだくさん。エリックにまた新しいお友達ができるのだ。読み書きもそうだけれど、しっかりSocial skillsを学んで欲しい。私も今から楽しみにしています!

Wednesday, August 10, 2011

Writingに関して

今日は「書くこと」について書いてみよう。

目下、夫はいっしょうけんめい漢字の勉強をしている(その勉強の仕方というのが、私たちが日本でやるのとは違って非常に興味深いのだけれど、本題から外れるからこの話はやめておこう…)。エリックのお絵かき用イーゼルの黒板を使ってときどき練習しているのだが、エリックはそれを見ながら、同じように書いてみることがある。



そして、先日、はじめて「木」を書いた。
これがエリックにとって初めて書く漢字。

「なかなか上手!」
「すごいわねえ!」

夫と私にほめられて、いい気分になったのか、昨日、デイケアにエリックを迎えに行った夫は、エリックがお絵かきの時間に「木」という漢字を書いてみんなに見せてあげたことをコニー(ECE)から聞いたと教えてくれた。漢字なんてみんな見たことがないので、コニーをはじめ「ワオ!」といった感じで周りが喜ぶものだから、エリックも気分がいいらしい。

昨夜も夫からしっかり漢字を習っていた(といっても、一と二だけれどね)。

ちなみに、私は日本語の「あいうえお」の書き方をまだ教えていない。
一方で、アルファベットはどうかというと、夫が少しずつ教えているようだが、これが難航している様子。自分の名前は書けるのだが、ときにCの向きが違っていたり、それぞれの文字の大きさが違っていたり、スペーシングがうまくいっていなかったりしている。文字は、A, C, E, H, L, O, P, R, T, Uくらいが言えば書けるだけ。私にはなぜIが書けないのか、なぜOができてQができないのか不思議なのだが、まだまだ時間がかかりそうだ。

一方では、「これ日本語」といって、まるでアラビックのような文字を書いてみたり、明らかに意味のある文字というよりは、文字を形象としてみている様子。

まわりの子たちはJKになると文字が読めたり書けたりする。すごいなあ、と思いつつ、私も文字を教えるべきなのか、と思うだけで今のところ何もしていない。モントリオール(ケベック州)生まれの夫は、小学校に入る前からモントリオールでは当然のように本が読めたらしいが、オンタリオ州に引っ越してきて小学校入学時点で文字が読めたのは彼と、モントリオールから同じように引っ越してきた女の子だけだったという(ちなみに、ケベック州がフランス語のみを公用語とすると決めて-Official French Language Act-、義父が働いていたRoyal Bankはすべて拠点をトロントに移したらしい)。それから後、Elementary SchoolではこのふたりがいつもTop Studentsだったという。夫いわく、「明らかに読み書きに関してみんなより進んでいたことは、僕に自信を与えてくれたと思う」。

また、エリックと同じデイケアに通う女の子、マイラのお母さんは「早くから文字を教えておくべきよ。そうすると、子どものSelf Confidenceにとってもいいのよ」と言っていた。思うに、文字を読めたり書けたりするのは、時期がくれば問題なくできるはず。でも、文字を読めるか、読めないか、ではなくて、それが子どもの自信につながっていくことが問題なのであって(小学校入学時点で、自分だけが文字が読めないと知った子どもは自信を喪失する可能性がある、ということ)、だからこそ文字を教える母親がたくさんいるのかもしれない。

見るところ、エリックはまだ文字を書けるようになる時期には来ていない、と思う。というか、文字を書きたい、読みたい、という気持ちは強くはない。トイレ・トレーニングといっしょで、時期さえあえば簡単にできるのなら、それを待った方が楽、というのも私のなかにはあるんけれど、一体、いつごろ文字を教えるべきなんだろう??

Saturday, April 30, 2011

「読み書き」を教えるのはいつ?


先日、エリックをカレッジに連れて行って用事を済まそうとしていた。オフィスで順番がくるのを待っていたら、エリックが「あ、あそこに日本語があるね」と言った。見てみると、そこはカレッジのCareer Centreで、ガラス張りの壁には世界中のさまざまな言語でCareer Centreと書かれていて、なかに「就職支援センター」の日本語があったのだった。

トロントはマルチリンガル都市なので、トロント市が発行する市民向け印刷物などには多言語表示がなされている。ある日、リサイクル・カレンダーに書かれていた多言語表示をじいっと見ていて、「これ、日本語?」と聞いたのは中国語だった。「それは中国語よ。日本はとっても昔に中国から文字を借りて日本語を作ったから、同じように見えるのよ」。

10日ほど前には、お散歩中に「あ、日本語のトラック!」という声を聞いて、見てみると中国系の食品を配達する(のであろう)トラックが走っていた。「○○食品公司」と書かれていたけど、そりゃそうだわね、日本語と中国語は似ているものね。

こんなことで、そうか、日本語の文字を認識しているのだね、と思った。子どもは文字を形として認識するというけれど、私だって例えばアラビックやらタイ語は形として認識しているから、別に子どもだけというわけではない。

そこで、ふと思うのだが、日本語の文字、「読み書き」はいつごろ教えたらよいものだろう。日本では幼稚園で基本的な読み書きを習うと聞いた。以前は小学校に入ってから読み書きをするものだったが、最近は早くなって小学校に入った時点で読み書きができないと、入学早々に「一足遅れ」を経験するのだとか。トロントでのはっきりした事情は分からないけれど、エリックの通うデイケアではアルファベットを教えている。幼稚園以前にアルファベットを教えるということに、多少違和感を覚えたけれど、子どもってCapableなのね・・・、エリックもゆっくりと覚えているようで、最近は大文字のアルファベットならば完璧とはいかないけれど、たどたどしくも読んでいる。まだ幼稚園前なので、私には早い気がするが、やはり周りの子どもを見ているとエリックの年でアルファベットを読んで書けるのは当然といった感じを受ける。

幼稚園前に文字を教えることに対して、私が「ちょっと早いのでは?」と思うのは、小学校低学年までは読み書きを教えないというウォルドルフのポリシーに共感するからではない。「教える」も「教えない」も問題があるように思うのは、そこに個人の成長の速度を考慮する余地を残していないから。これまでエリックの成長の過程で、たとえば「ことばを発する」とか「えんぴつを正しく握る」とか「はみがきができる」とか、そういったことをこちらから繰り返し言ってきたことがあるが、ある日、私がまったく教えてもない「ボタンかけ」が自分でできるようになった。それで、教えなくても時期がくれば自分でこうしたスキルは習得していくものなのだということに気付いた。子どもは実によく見ている。何度も何度も見て、「自分でやってみたい」という気持ちが生まれれば、努力をしてしようとする。それを手助けするのは大切だけれど、子どもがまだ準備ができてないうちから「させてしまう」のは無駄なことだと思うようになった。

時期が来れば子どもはある程度のことはできるようになる。そのためには、子どもが「自分でやってみたい」と思うかどうかがやっぱり大きいのだと私は思っている。親の役目はその時期を見極めることではないんだろうか。ま、海外で日本語を教えている例ではちょっと状況が違うけれど(放っておけば、日本語がまったくできなくなるという状況もありえる)、「自分でやってみたい」の気持ちを見逃さないことは何より肝心。

そういえば、偉大なByrdsも歌ってたわね。
To Everything
There is a season
And a time to every purpose, under Heaven
A time to be born, a time to die
A time to plant, a time to reap
A time to kill, a time to heal
A time to laugh, a time to weep 

東京で子育てをしていた妹曰く、「幼稚園で読み書きを教えるのは、小学校に入ったときに自分の子どもだけができないと気付いて自信を失くしたり、焦ったりするのが嫌だからだと思う。それで年々、早くなっているんだと思う」。それならば、子どもや自分を他人と比べて評価するというHabitをやめればいいと思うのだが、子どもに読み書きを教えるより、そちらの方が難しいのだろう。でも、他人と比べて自分(や子ども)を評価する、というHabitは一生ついて回って自分を苦しめることになるので、本来ならばそこを強化してあげることが、子どもの幸せにはもっと大事だという話は長くなるのでここではやめておこう。

There is a time to learn language…、今のエリックには日本語の読み書きは早いだろうと思うけれど、日本語の文字を認識している、ということは親として覚えておきたい。

Wednesday, February 17, 2010

英語の本で日本語を教えるには?

日本語の絵本が手に入りにくい(というか入らない)トロントでは、英語の絵本だって日本語教育に協力してもらわなくてはならない。簡単な絵本なら何とか同時翻訳できるのだけれど、問題は毎回、ちょっとずつ翻訳が違ってくること。以前、JCCCで開催された日本語で育てる講習会(名前は確かでない)で質問したときに鈴木美知子先生が答えてくれたように日本語訳を書いた紙を本に張りつけておけばいいんだけれど、おおざっぱな私にはなかなかそこまで…。
というわけで、私は私の性格やら、エリックの対応やらを考えて、
英語の本は英語で読む、
ただし、ページをめくるまえに必ず日本語で話しかけるか問いかけるか、要約するか、
という手順を踏むことになった。
1冊読むのに時間はかかるけれど、これが意外と私とEにはぴったりと馴染んで、私はかなり気に入っている。他にもいろんな方法があると思うし、年齢があがってくるにしたがって、またさまざまな方法が生み出される可能性もあると思うけれど、今のところは私とE、これでなんとかかんとかやっています…。

Thursday, January 14, 2010

書く能力を鍛える(・・・でも書くことによってではなくて)

前回のポスティングに関連して、思い出したこと。
1日が終わるとき、その日のうちの出来事を順番に話してあげることは、将来、文章を書く能力につながるらしい。どこで読んだか忘れてしまったが、これは私、絶対にあると思う。

小学生低学年の作文って、まさにこれで、「朝、顔を洗って、朝ごはんを食べて、学校に行きました。学校では2時間目のあと、運動場でなわとびをしました・・・」の、出来事の羅列風。でも、これは文章を書く上では基本となる骨格で、ここから、想像力や工夫が出てきて、文章はどんどん個性的に飛躍していくのである。

なので、私もこうやってその日にしたことの記憶をたぐりよせながら、思い出させながら、言わせながら、会話をするようにしている。夫は夕食では必ずといっていいほど「What did you do today?」と聞くのだが、夫の帰る前に、私はエリックと予行演習までしている。以前はひとつくらいしかやったことをいえなかったのに、最近ではポツリ、ポツリ、いくつか出てくるようになった。言葉を話させるためにも、記憶力を刺激するためにも、将来、書く能力につなげるためにも、これは絶対におすすめです。

Thursday, October 22, 2009

本の読み聞かせ:英語で読むか日本語で読むか・・・


英語の絵本を読むときも、がんばって日本語訳をしながら読んでいた時期があった。日本語の本が圧倒的に少ないことから、何とか日本語で読み聞かせる機会を多くしようという理由からだったが、あることがきっかけで英語の本は英語で読むようになった。

あるとき、Eの持ってきた英語の絵本を英語で読んでみることにした。その本は1週間ほど前に買ったばかりの本で、すでにEのお気に入りとなり、私は(日本語で)20回くらい、夫は恐らく5回ほど(英語で)読んでいたと思う。ときどき単語を抜かしながら読んでみると、驚いたことにかなりよく単語を覚えていた。そのことがきっかけで、私が毎回、少しずつ違った日本語で読むよりは、毎回同一の英語で読む方がいいのでは?と思い始めた。ま、覚えればいいってことではないとはいえ、繰り返しのなかで覚えていく姿を見ていると、私のなかに疑問が過ぎるようになったのである。

なので、今は英語の本は英語で読むようにしている。ただし、意識的にページが終わると、そのたびに日本語で「ねこはどこにいる?」と絵に関する質問をしたり、「どうしておふろに入っているの?」と内容に関する質問をしたり、「これ、おいしそうだね」とコメントしたり、日本語を使う努力は、もちろん怠っていない。

海外での育児のため、日本語の本が少ないことは不便ではあるけれど、まだまだ「文字を読む」というところまで行ってないし、当面のあいだはこうやってあるものでしのいでゆこう。

Thursday, September 24, 2009

文字を認識し始める

考えてみれば、文字も形であって、星の形やハートの形に興味を持つ子どもたちが文字に興味を持つのも当然の成り行きと言えるだろう。

エリックの場合は、お決まりお散歩コースのMt.Pleasant Cemetary(共同墓地)のベンチに書かれている「TO ANNE A SPECIAL ONE」というのが始まりだった。ときどき緑のベンチでスナックを食べていた私たちだが、ある日、エリックがそこに書かれたその文字に気付いた(写真)。そして、ふたつの「O」を指でたどりながら、「おんなじ」と言った。同じものを探すのが好きなEのこと、「A」と「E」に関しても同じ文字を見つけるようにと言うと、少し時間はかかったもの、どうにか探してきた。私たちのように文字に意味を付加できないEにとっては文字も単なる「形」として映るに違いない。

この経験から、この時期、アルファベットを教えるのも、あるいは日本語のひらがなを教えるのも無理じゃない、とふと思った。ニルダに以前聞いたところ「It’s not too early to teach alphabet」と言っていたし・・・。でも、私の直感としては、まだ文字を教えるには早いと思うので、そこまではしない。ただ、形としてなら楽しめるかも・・・。そう思って「空」と「豆」と「木」という漢字キャラクターを何枚か書いてエリックに見せてみた。これは難しいみたいで、同じ漢字を集めることはできなかった(私の殴り書きの文字、たしかによーく見てみるとはねてあるところとないところがあったり、正確さという意味ではかなりあやしい。タイプしてある文字の方が簡単かも。今度、試しにやってみよう)。

こうして「O」を認識したE、その後、あちこちに書かれたものを見て「O」を探してきては、「マミイ、マミイ、Oあった」と走って持ってくるようになった。私が持っている日本語の文庫版のなかからも(私にはめがねがないと見えないくらい小さな)「一〇五〇-三四〇」みたいなカタログ番号の漢数字「〇」をアルファベットの「O」と思って持ってきたのには笑ってしまった。
そんな感じでObsessed by Oといった状況にあるE、それからは、ひとり本を開いてはじーっと見ている時間が増えたように思う。書かれた文字に対するAwarenessが高まっている証拠だろう。