スタッフが本を読んでくれるReading Timeはエリックのお気に入り。読んでくれるスタッフはときどき子どもたちに質問をする。こんなふうに・・・。
「What is this? You must know this…」
「What colour is this? 」
で、子どもたちは答えるわけだけれど、今までに何度かエリックは「いちご!」とか「にじ」とか「きいろ」などと答えたことがある。しかし、日本語が通じるはずもなく・・・。周りの声にかきけされたエリックの声に、「そうね、いちごだよね」と私一人はもちろん対応してあげるし、エリックも英語の方もわかっているだろうとは思っている。なので、日本語を教える意欲がくじけるわけではないし、これも一時的なことだと知ってもいるけれど、親としてはいささかかわいそうに感じてしまうわ・・・。
My Bilingual Child-- バイリンガルはどう作られるのか。カナダのトロントで英語話者の夫、日本語話者の私とともに育つエリックを観察しながら、バイリンガル育児の実情、さらには日本の英語教育についても考えてみよう・・・。
Showing posts with label 2歳~2歳5ヶ月. Show all posts
Showing posts with label 2歳~2歳5ヶ月. Show all posts
Wednesday, December 9, 2009
Tuesday, November 10, 2009
日本語が第一言語になっている?(2歳4ヶ月)

引き続き一生懸命話そうとしているE。一時は「Doggie coming down」とか「Me coming bedroom」などと英語と日本語が同じくらいの比率で使われているように見えたが、最近はどう考えても日本語が主体になっている。
「Meきのう 大きい バババ(ヘリコプター)みた」
「Me りす アーモンド あげなかった」(りすにアーモンドをあげなかった)
構文を見ると、明らかに日本語の並びになっているし、何より圧倒的に日本語の単語の方が多い。単語の数が限られているし、助詞がないのでまだまだ完成には遠いものの、2年4ヶ月で、それも私ひとりの日本語を聞いて、よくここまで習得できたものだとちょっぴり感激。
それと同時にちょっぴり焦り気味の夫。「一親一言語」で行くのだから「英語だけで話すように」と何度注意しても、Eの日本語の語彙が増えるにつれて「わかった?」などと日本語で話しかけている。しかし、「日本語が第一言語になっている」という私の指摘で、ここ数日はかなり意識的に英語で話しかけようとしている。英語での質問にも、しかし、次のように日本語で答えるE。
夫: What did you do today?
E: えーっと、Meクイーンズパーク ginko(銀杏)ひろった
明らかに日本語が第一言語になっているように今のところは見える。ただし、Eの言語発達の過程はめまぐるしく変わるので、これも一時的なことかも知れないけれど・・・。
Monday, October 26, 2009
「ね」

Eが最近「ね」とよく言うようになった。
私「今日はちょっとあったかいね」
E「ね」
私「公園に行こうね」
E「ね」
肯定の意味(そうだね)で使っているのだろうか(ちなみに、答えが否定の場合は「No」で返したり、「えーっと・・・、違う」で返している)私の言ったことばの語尾を繰り返すということを、Eはよくしていて、たとえば・・・
私「図書館に行ってみる?」
E「みる」
私「本を借りてこようか」
E「こよう」
私「それ、おうちに帰りたいってこと?」
E「ってこと」
といった風に使っている。がんばって真似しているのもおかしいが、同時に今まで以上にわたしたちの会話が「会話」らしくなってコミュニケーションがとれてきているかも? と思うこともしばしばで何だかうれしい。
Thursday, October 22, 2009
ゆめと現実と②・・・
またゆめについてEに聞いてみると、こんな答えが。
「ゆめ、みた?」
「みた。ダッキーダック」
「またダッキーダック? 何してた?」
「ごはん、たまご、食べる」
「えりちゃんは?」
「MeおりょうりCooking」
「マミーは何してた?」
「マミー、本、読んでた」
「ダディーは?」
「ねんね!」
Eが同じゆめを何回も見てるってことか、あるいはEが勝手に創作しているのか・・・。ふと思い出したが、子どもの見る夢の80%は動物に関するものだとどこかで読んだことがある。スーパーマーケットの子ども向け商品を見ると、そういえば動物の絵が描かれているものがかなりあって、これはきっとマーケティングのなせる業なのだろうね・・・。
「ゆめ、みた?」
「みた。ダッキーダック」
「またダッキーダック? 何してた?」
「ごはん、たまご、食べる」
「えりちゃんは?」
「MeおりょうりCooking」
「マミーは何してた?」
「マミー、本、読んでた」
「ダディーは?」
「ねんね!」
Eが同じゆめを何回も見てるってことか、あるいはEが勝手に創作しているのか・・・。ふと思い出したが、子どもの見る夢の80%は動物に関するものだとどこかで読んだことがある。スーパーマーケットの子ども向け商品を見ると、そういえば動物の絵が描かれているものがかなりあって、これはきっとマーケティングのなせる業なのだろうね・・・。
Monday, October 19, 2009
ゆめと現実と・・・
いつものように朝起きたEに聞いてみる。
私「えりちゃん、ゆめ、みた?」
E「みた、みた。ダッキーダック」
私「ダッキーダック、何してたの?」
E「まんま食べてた」
私「へーえ。えりちゃんは何してたの?」
E「Meおりょうり ダッキーダック」
私「えりちゃんがダッキーダックにお料理してあげたってこと?」
E「ってこと」
私「何をお料理してあげたの?」
E「たーまご!」
これ、明らかに最近お気に入りの本の影響が見える。「ぐりとぐら」とベアトリクス・ポターの「Jemima Puddle Duck」。ダック(あひる)は後者から、たまごを料理してあげるのは前者から。しかし、ダッキーダックが卵を食べてしまってはカニバリズムになってしまうことを、Eはもちろん知らないのだけれどね・・・。
私「えりちゃん、ゆめ、みた?」
E「みた、みた。ダッキーダック」
私「ダッキーダック、何してたの?」
E「まんま食べてた」
私「へーえ。えりちゃんは何してたの?」
E「Meおりょうり ダッキーダック」
私「えりちゃんがダッキーダックにお料理してあげたってこと?」
E「ってこと」
私「何をお料理してあげたの?」
E「たーまご!」
これ、明らかに最近お気に入りの本の影響が見える。「ぐりとぐら」とベアトリクス・ポターの「Jemima Puddle Duck」。ダック(あひる)は後者から、たまごを料理してあげるのは前者から。しかし、ダッキーダックが卵を食べてしまってはカニバリズムになってしまうことを、Eはもちろん知らないのだけれどね・・・。
Saturday, October 3, 2009
夫と私:Eの言葉がより理解できるのは・・・
もちろん、私! きっと一緒にいる時間が長いからだろうと思うが、日本語の方がちょっぴり強いということもあるだろう。前にも書いたが、「日本語は私が、英語は夫が話す」(1人1言語)と決めたものの、未だ無意識のうちに日本語で話しかけようとしている夫。発音の観点からも私に任せてくれればいいものを・・・。
しかし、昨日、ふと「まだまだこの程度のレベルだけど、この先、Eの日本語が上達していくと、何を言っているのか分からなくなるんだろうね」とちょっぴり悲しげに言った夫。さあ、それはどうなるか分からないけれど、「あなたの方も日本語をしっかりマスターすればいいことじゃない!」と切り返した私。博士課程を終える条件として、調査対象分野の言語をマスターする、という条件があるんだし・・・。夫はそれと同時に私の両親ともっといろいろと話をしたいと思っているようで、それもまた動機づけになっていると言っている。
どうなるか分からないが、Eの言語発達にとっては、あるいは家族のつながり、という意味では、私たちがお互いにバイリンガルになることができれば、それがベスト・オプションという気がする。長い道のりだろうけど・・・。
しかし、昨日、ふと「まだまだこの程度のレベルだけど、この先、Eの日本語が上達していくと、何を言っているのか分からなくなるんだろうね」とちょっぴり悲しげに言った夫。さあ、それはどうなるか分からないけれど、「あなたの方も日本語をしっかりマスターすればいいことじゃない!」と切り返した私。博士課程を終える条件として、調査対象分野の言語をマスターする、という条件があるんだし・・・。夫はそれと同時に私の両親ともっといろいろと話をしたいと思っているようで、それもまた動機づけになっていると言っている。
どうなるか分からないが、Eの言語発達にとっては、あるいは家族のつながり、という意味では、私たちがお互いにバイリンガルになることができれば、それがベスト・オプションという気がする。長い道のりだろうけど・・・。
Monday, August 17, 2009
年齢に応じた語りかけと「ジャンプアップ」
エリックが話したいのは分かる。最近は私たちの会話も何となく理解しているようで、今日も「Hothead(すぐに頭に血が上る短気な人)」という言葉を聞いて、私の頭に触れながら「あち(あつい)」と言ったりしている。だから、自分も会話に入れないのがちょっと悔しいのかもしれない。
エリックが生まれてから、私は他の母親たちが子どもによく話をするのを見ながら、感心してきたものだ。「ほら、マミーは今、靴のひもを結んでいますよ。右から始めて、今度は左。さあ、できた」とか、まるで実況中継をしているかのように、手も口も同時に動かしている母親たちが、私には驚異に感じられた。私は頭のなかでいろんなことを考えていて、その頭のなかの考えに忙しくて、エリックに話しかけるのにはかなり意識的な努力が必要だったし、今もそうである。
しかし、ここで告白するが、私にはエリックのレベルの会話がたまに退屈に感じられることがあって、それは、エリックの知っている単語が限られていること、概念的なことは説明できないことなどが理由で、私は無意識のうちに自分の頭のなかの世界(より多くの概念やらアイデアやらが詰まっている)に入っていくのだと思う。
シャーリー(パブリックナース)にも「何でもいいから話しかけていっぱいインプットをしてあげることが、言語上達の秘訣」と言われてきた。入ってこなくては、言葉は覚えられないわけだし、それをしてあげられるのは、四六時中一緒にいる私だということもよく分かっているのだが…。
言語習得の過程では、年齢に応じた語りかけが大切であるが、私たちは意識しなくても自然と1歳児には、1歳児に見合う、4歳児には4歳児に見合う語りかけを自然としているという研究結果を読んだことがある。たとえば、1歳児に「You should not hit the table」とは言わずかわりに「No hit!」と言うし、私もそうやって簡潔な日本語を話している自分に気付くことがあった。
付け加えると、英語圏の子ども向け絵本の古典となっている「ピーターラビット」が素晴らしいとされる理由のひとつは、単純な話で明快な文章で書かれているのもかかわらず、ところどころにレベル的に突如としてジャンプアップしたような単語(たとえばimploreなんて言葉)が入っていることである。こうしたちょっぴり聞きなれない単語を目にした子どもたちは、何だろうと思うし、話の文脈から予測することもできる。それが、言語学習の幅を広げてくれるのだという。確かに、知っているだけの単語を読んでいるだけでは新しい単語やその概念を知ることはできない。言語学習には、ピーターラビットが示すような「ジャンプアップ」が必要なわけで、子どもたちの言語習得能力は現在のレベルとちょっぴり上のレベルとのギャップをうめることで向上するというわけである。
私もエリックの知っている言葉だけを選んで話していないで、意識的に新しい単語や概念を紹介しながら、エリックの世界を広げていく必要がある、ということね…。
気が早い私は、今からエリックと政治や歴史の問題を日本語で語れる日を心待ちにしている…。
Tuesday, July 14, 2009
子どもの性格と言語習得
2歳の誕生日を過ぎて以降、エリックの語彙がみるみるうちに増えているように思う。
しかし、ここ数週間のうちにエリックの語彙が急増したというよりは、今まで蓄積してきた語彙を発音して伝えることができるようになったという方が正しいように思う。つまり、言葉を発音できる能力が発達してきている、ということだと思う。
毎日のように「あいうえお」の50音を聞かせているが、以前は「あいう」「えお」とふたつに分けなくては言えなかったが、最近は自分で「あいうえお」まで一気に言えるようになっている。相変わらず「さしすせそ」「はひふへほ」は「あいうえお」に近い発音で、難しいようである。しかし、明らかに他の発音は日本語らしくなってきている。昨日は、「だいこん」「おだんご」と言って、その発音を夫のと比べると、エリックの方が「断然日本語ネイティブに近い」(夫は私のコメントにかなり落胆・・・)。
発音できるようになったことで、知ってはいても言えなかった語彙が伝えられるようになった・・・、そのため、語彙が急激に増えているように見える・・・、それが私の見方である。そして、これは、エリックの性格と深い関連性があると思う。
エリックはプレイグラウンドでも決して周りの子どもたちの持っているおもちゃを取るような、将来、リーダーになるような意気盛んなナポレオン・タイプではない。子どもたちのしていることをじっと観察して、気に入ったおもちゃでうれしく遊ぶ、比較的静かなタイプ。なので、発音にもかなり慎重で、できると思うまで待っていたのではないか。2歳になるまえ、動物の写真を見せて「へびはどこ?」、「コアラは?」と聞くと正しく指差しできていたことから、名前を記憶していることは確認できた。言えなかったのは発音に自信がなかったからなのだろう。
私の周りの移民友達を見てもそうだが、文法の間違いも気にせず、とにかく社交的でおしゃべりな人たちはしゃべることにかけてはシャイな人たちよりも圧倒的に英語力が伸びていると、少なくとも表面的には思われる。言語学関係の多くの論文や研究結果も、子どもの性格と言語発達の関連を示している。ただし、子どもの言語発達に関していうと、そのうちに追いつくということなので、この点に関して、私はまったく心配していない。
Thursday, July 2, 2009
二カ国語環境とことばの遅れ
エリックが1歳半のとき、パブリック・ナースのシャーリーの訪問を受けた。トロントでは、デイケアに預けていない限り、専門家の知識や育児関連サービスに関する情報を受けられるようにと母親がパブリック・ナース(保健婦)と頻繁に連絡を取ることができる(市のサービスは無料)。シャーリーはエリックが1歳のころから数回にわたって訪問してくれているほか、何か必要なことはないかと定期的に電話をくれている。
やってきてしばらくエリックを観察していたシャーリーは、私にことばに関する質問をいくつかしたのち、スピーチ・セラピスト(言語療法士)に連絡を取ってみてはどうかと勧めた。平均的な1歳半に比べるとことばに遅れがあるような気がするし、スピーチ・セラピストとの予約は半年待ちといった状況なので、2歳になった時点で必要がないと思えば予約を破棄するつもりで、念のため、予約を入れてみるのも悪くない、ということだった。
「二カ国語環境で育てていることが原因かしらね?」
と言う私に、シャーリーは「二カ国語環境がことばの遅れに影響することはないわ」とかなりきっぱりと言った。
「二カ国語環境がことばの遅れに影響することはない」
このクレイムには、さまざまな意見がある。専門家のあいだでは、確かに二カ国語環境と言葉の発達には関連がないという意見が多いようだが、プレイグラウンドの意見は多少違っている。(二カ国語で育てている)他の母親によると、子どもたちの言葉が少し遅いという意見が大半である。ただし、「ひとたび話し始めたらすぐに追いつく」という見方で、「心配することはないわよ」という。さらには、上の兄弟がいる、いないや、母親がおしゃべりかどうか、が関連するなど、二カ国語に絞って言うのは難しいという母親たちの話を何度も聞いている。
「ことばが出ない」は「ことばを理解していない」とイコールではない。私と夫から受ける指示(まどのそばにあるりんごをとってきて/Go, get the apple by the window)に対してはどちらも完璧に理解してちゃんとボールを取ってくる様子を見ると、「理解度」に関しては問題ないことがわかる。ただし、「話す」に関しては「りんご」と「apple」の両方を使うわけではなく、なぜか発音しやすい方(この場合はapple)を選んでいる。なので、二カ国語でことばを蓄積している子どもたちにはスタート時点では確かに少し不利があるかもしれないが、いずれすべての発音がクリアにできるようになるとこの問題も消えるものと思われる。
専門家は発達チャート(「この時期にはこれができる」)を見てその子どもの発達度をはかっているものだが、この発達チャートも半分ほど信用すればいい、と思う。たとえば、「300語の語彙がある」などという項目も、二カ国語環境で育つ子どもにとってはちょっぴり不利だという気もする。もし「りんご」と「Apple」の両方が言えても2語ではなく「1語」と計算されるのだ。
私も夫も、結局、スピーチ・セラピストに電話しなかった。
2歳になったエリックの様子を見ると、それで結局よかったと思っている。
Sunday, June 28, 2009
自動翻訳
うちの晩ごはんはとにかく長い。1時間は短い方で、いつも1時間半、2時間ということもしばしば。なぜ長いかというと、私たちの会話がいつも長くなってしまうからだ。私のお気に入りのトピックは政治や時事問題、夫はというと宗教や専門の人類学。エリックの座る椅子からは、窓の外が見えるから、退屈することもあまりない。私たちの会話をかなりじっと聞いていて、ときどき知っている語彙が出てくると、真似をしたりしているが、最近、自動的に訳をしていることに気付いた。
「Their story was very heavy」
を聞くと「重い」と言う。
「It should be done by now」
と聞けば「今」と言う。
そういえば、
「青いクレヨンとって」
と言うと、「blue」と言ったり、
「さっきのは緑の車だったね」
と言うと、「greenのcar」と言う。
どうも自動的にやっているようだ。私が訳すときは、センテンスを別の入れ物に移し変えるように頭が働いているが、エリックの場合は自然、というか、自動的なのだとつくづく思う。
「Their story was very heavy」
を聞くと「重い」と言う。
「It should be done by now」
と聞けば「今」と言う。
そういえば、
「青いクレヨンとって」
と言うと、「blue」と言ったり、
「さっきのは緑の車だったね」
と言うと、「greenのcar」と言う。
どうも自動的にやっているようだ。私が訳すときは、センテンスを別の入れ物に移し変えるように頭が働いているが、エリックの場合は自然、というか、自動的なのだとつくづく思う。
1親1言語を貫くのは簡単じゃない
3歳になったばかりのベンジャミンは相変わらず思慮深い表情で、フレンチ・カナディアンのお母さんとはフランス語を、中国系のお父さんとは中国語を話していた。訊けば、デイケア(託児所)では英語を・・・、と3カ国語を使い分けているらしい。
「エリックの日本語はどう?」
「語彙はどちらかというと日本語の方が多いみたい。でも、おかしいのは・・・」
と言って、私はエリックが夫の英語アクセントの混じった日本語を話す様子を説明しはじめた。すると、ベンジャミンのお母さんは真顔になって、
「うちも同じよ。だから、夫にはフランス語でベンに話さないようにって言っているの」
と言った。
エリックが、たとえば「耳」という単語を言うとき、最初のミは強く、次のミは弱く、私には女性の名前「Mimi」に聞こえる。他にも同じようにアクセントが日本語としては不自然な単語がたくさんある。しかし、私はそれほど気にしてはいなかったが、ベンジャミンのお母さんは「間違ったアクセントを教えないためにも母国語だけを話すべき」と強調した。言語学の博士課程にいる彼女の言葉はかなりの説得力を持って私の耳に響いた。
帰って夫にそのことを話すと、「フレンチは発音の美しさにはうるさいからね」と言っていたが、「そういえば・・・」といってこんな話をした。幼稚園の先生をしている知人の隣人は韓国出身の3人家族。カナダに移住してから、両親は3歳になる子どもに英語を教えるために、家では英語を使っていたらしい。今年6歳になるその子どもは、今でも強い韓国語アクセントのある英語を話すそうである。
エリックに正しい日本語を教えるためには、夫は英語のみ、私は日本語のみで話しかける必要がある、と、私も以前、パブリックナースのシャーリーに言われた。しかし、簡単なように聞こえるが、実際、それは難しい。私は気付いたら「You are such a good boy」とか「Wow!」とか言っている。夫も無意識のうちに「暑いね」「本は棚に戻して」などと言っている。1親1言語を貫くのはそんなに簡単ではないが、これからは意識して日本語だけを使おう・・・。
Subscribe to:
Posts (Atom)