Showing posts with label コラム「バイリンガルで育てる」. Show all posts
Showing posts with label コラム「バイリンガルで育てる」. Show all posts

Wednesday, November 2, 2011

コラム「バイリンガルで育てる」: 「これではいかん!」

・・・と最近つとに思うのである。もちろん、エリックの日本語のこと。

昨日、久しぶりに、わらべきみかの「あいうえお」絵本をエリックと見ていたのだが、絵を見てエリックの口から出てくるのはほとんど英語。「煙」も「ちょうちょ」も「れいぞうこ」も、「月」や「亀」ですらすっかり忘れているようで、出てくるのは英語ばかり。これには焦った。


最近、本当に英語ばかりなのだ。日本語が明らかに減っている。デイケアもキンダーガーデンでも英語のお友達ばかりだし、日本語のお友達は日本に帰ってしまって、ひとりもいない・・・。


少しは使っている日本語も簡単なものばかり。「いいよ」とか「赤いやつ?」とか短い文章だけ。なおかつ、英語の文章中にミクシングする日本語名詞に複数形のSをつけたり(ねこs)、


正直言って、私も最近なまけている。アルファベットや数字をぼつぼつと教えたりしているけれど、日本語は後回し。おまけに、最近は私まで英語を使ってしまうこともあったりする。私たちの会話は相変わらず、私(日本語)E(英語)。向こうが始終英語で話しているのにつられて、Why not? と反応したり、Oh, OKとかGood job!といって褒めたり、Don’t drop it!ととっさに出てきたり。しつけの面では特に英語の方がやりやすく感じていることもあって、No hitting. We don’t torelate such behaviour.なんて思わず言ったりする。エリックとお友達と遊んでいるときには、お友達にわかるように英語を使うし、そんなこんなしていると、私の方までがズルズルと英語の世界に取り込まれていくような気がして・・・かなり怖い。


もうひとつ気付いたのが、日本語でより英語の方が深い会話ができること。日本語より英語の語彙や表現の方が豊富なエリックにとっては、日本語で話す私との会話のレベルはなかなか上がらない。一方で、エリックと夫の会話は日々、レベルアップしていて抽象的なこと(神や宗教、オゾン層の破壊がもたらす影響とか・・・)もひょいひょいトピックにあがっている。


「この年ならわかってくれるかも」と思って、「なぜマミイがエリックに日本語を話してほしいのか」を話したりすることもある。「だから、エリちゃんも少しでも日本語を話すように心がけてみてね」と言うと、ふんふん、とよく聞いて、そのときは「わかったよ、マミイ」と答える割には、もう2分後には英語になっている・・・。


バイリンガルで育てるには、親のコミットメントが何よりも必要・・・って、私もエリックがまだベイビーのときに書いた記憶がある。あのときは頭で理解していただけなのだ。なんとおめでたかった私・・・。「マミイは英語はわからない」と断固たる態度を取るより、子どもに嘘をつかない、という方を選んだ私・・・。あの選択は間違っていたのだろうか、とふと思うこともある。わかってます、わかってますって。でも、ほんと、大変だこと。このままの状況が続けば、passive bilingualになるのは目に見えている。


ここであきらめるつもりは毛頭ない。このあたりでもう一度しっかり日本語を教える私のスタンスとコミットメントを確認する必要がある、と思う今日このごろ。

Monday, August 15, 2011

主要言語は英語。だけど、日本語での会話が少しずつ増えてきた(4歳2ヶ月)

久しぶりに、エリックの言語習得に関する報告書を書いてみよう。しばらくの間、何も変わっていないのだからアップデートすることもないと思っていたが、最近は少しだけだが変化が感じられる。

うれしいことに、最近、エリックの日本語が増えてきている! 単語が増えているというのではなくて、文章が増えているのが尚のことうれしい。

たとえば、
「これはエリックが描いた絵だね」
「今日は雨が降りそうだね」
「食べたら、お散歩に行きたいな」
「このナイフはあぶないから、あっちにしまって」
とか、短い文章を思い出したように使ってみることがある。そして、この程度の文章なら文法的な間違いもなく、きちんと言えていることにも気付いた。それで思い出すのが、エリックが英語を話し始めたときのこと。なかなか文章が出てこなかったエリックだが、出てきた文章は間違いがほとんどなく、きっと自分のなかで自信がつくまで言葉として発音しなかったんだろうと思われた。そして、
「上手に日本語で言えたじゃない!」
と言うと、とってもうれしそうにしている。

また、引き続きコード・ミクシングが多く見られるが、以前は英語の文章のなかに日本語の単語(おもに名詞)が入っている文章が多かったが、最近は文章ごとにミクシングしている例が増えていることに気付いた。

たとえば以前は
「I got this because you likeお花」
だったが、最近は
「You have to give me a ticket. そしたら行ってもいいよ」
という感じになっている。また、英語で言ったことを直後に日本語にする例も増えている(「I can see the rainbow there. にじが見えるよ」)。

●私の反省点
さて、私の側では、いろいろと反省することが出てきている。ひとつは、私がたまに面倒になって英語で言うことがある点。最近、エリックの「なんで?」に拍車がかかっている。「なんで船は沈まないの?」とか「なんで雷が鳴っているの?」とか自然科学系の質問から、「正確に、って何?」というような言葉の意味を問う質問までいろいろなのだが、言葉の質問に対して、とりわけ抽象的な言葉の質問に対して、私はたまに
「英語ではAccurateって言うでしょ」
と言ってしまって「しまった!」と思うことが、ここ数週間のうち何度かあった。以前は、「日本語の言葉の意味は日本語で教える」と決めて、それを守っていたのに、エリックの語彙が簡単に説明のつく名詞から徐々に広がっていくにつれ、同時にエリックの英語の語彙が私が驚くほど増えていくにつれ、私も英語を使ってしまうことが出てきている。もちろん、私にとってはそっちの方が楽だし、エリックにとっても楽には違いない。ただ、そうするとこの言葉をどういう文脈で使うか、といった感覚が磨かれないのではないかと思われる。

もうひとつ反省すべき点は、日本語を話すとき、「これはエリックには難しいだろう」と思って教えなかったり、省略したりすることがある点。いわゆるセンサーシップなのだろうけれど、これがもう考える暇もなく私の癖になってきている点に気付いて驚いた。でも、こんなことをしていてはエリックの日本語の語彙が増えるわけもなく、いつまでたってもかなりLow lebelな会話しか成り立たない。なので、私も猛反省して、この点は気をつけようと思っている。

●発音について
以前から「さしすせそ」が、「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」に聞こえていた。もっと細かく言えば、「シ」はSHIではなくてSiに聞こえていた。それが、少しずつよくなってきている。それと同時に、日本語の発音も日本語ネイティブに近くなってきている。今、一番大変そうなのは、友達の名前。今でも、エリックは友達のSasha(サシャ)のことを「シャシャ」と呼んでいるが、この名前はエリックには本当に難しいらしい。

それから、私が「ガス」と日本語で言うと、「ガスじゃないよ、Gas(ギャス)だよ」とか、「クロワッサン」と日本語で言うと、それを笑って「クロソーン」と言い直す。

ついでに、英語の発音についても一言。夫にはエリックのRとLの発音が気になっていた(Peterが日本語の「ピーター」)。私はHurt(It hurt me)がHortに聞こえていた。RとLは私の影響だろうと思うが、夫は今までこれを矯正しようと直してきた結果、「だいぶよくなってきた」(夫いわく)。Hurtに関しては、夫いわく「Britishアクセントみたいに聞こえるが、間違いではないので大丈夫」らしい。

●英語のリズム、韻
以前、デイケアでサニーに向かって「Sunny, bunny」とか「Sunny, funny」と言っている子どもたちがいた。最初は「ひょっとして、いじめかも」と思ったが、これはきっと子どもたちが韻を踏む楽しさを見つけ出した表現なのだと思う。エリックも最近は、「Bunny’s tummy is funny」と言って喜んだり、「Peter, piper」を繰り返したり、韻を踏む言葉を自分で探している。そして、Mother Gooseを繰り返したり、夫にせがんで読んでもらって、自分も繰り返し言っている。

私が夫やエリックと違って英語は第二言語なのだと感じるのはこんなところで、こういうのが自然に出てくるのはやはり英語が第一言語だからだろう。小さいときからMother GooseやNursary Rymesを聞いて育っていると、詩的表現は自然に出てくるのだと思う。二言語を同時に習得しているエリックにとって、理論的には第一言語は英語と日本語だけれど、断然進度が速いのは英語に違いない。

Sunday, June 5, 2011

先は見えないもの。人生だってそうだもの・・・

先日、某紙某編集者から電話をいただいた。会話の内容は、本コラムの内容が「ぐるぐるまわっている」ようだけれど、「この先、どこに行くのか」が書き手の私には見えているのか、というものだった。このコメントには笑ってしまった。「日本語を話さない」問題にいまだに解決法が見えないことを指摘されたのだと思うが、正直なところ、私自身、この問題に解決法があるのか、「どこに行くのか」と聞かれれば、「私にだって分からな~い!」と答えざるを得ない。私にできることといえば、日々、この問題に手を変え品を変えしながら対応していく、ということでしかない。どこかに解決法が転がっていて、それを適用した途端、なんとまあ、エリックが日本語をペラペラっと話すようになる、というシナリオが存在しないことだけは確かだ。

前にも書いたが、私たちは漠然と「子育てには答えがある」と信じ込まされている。高い教育教材やトイレトレーニングのやり方に誰かがピッタリ符合したからといって、すべての子どもにそれが当てはまるわけではない。しかし、それを親や子どもの能力のせいにしてしまって、「他の子ども(親)はできるのに、なんでうちの子(親である私)にはできないの?」と、まったく的外れの批判が出て、ストレスを感じることになったりする。

こんなときこそ、河合隼雄のことば「大人が真剣に子どもに接している限り、非常に大切なことを子どもから教えられることがあるものだ」を思い出したいものだ。問題に対する答えが出ればそれに越したことはないが、その取り組みのなかで親と子どもが人間として成長する過程だって私は同じように大切だと思っている。
さて、またまたこんなことを書くと「ぐるぐるまわっている」と言われそうなので、この辺で「ぐるぐる」論はやめにして、最近の観察の結果を報告してみよう。

ひとつ、あれから私が気付いたことは、エリックのなかでは「有用性」のランキングがある、ということだ。ことばは結局のところ、コミュニケーションの道具なので、それを使って自分の意思(やりたいこと)が成せるかどうかという点で、有用性が大切になってくるのは私にも容易に理解できる。1日の大半の時間を過ごすデイケアでも英語、どこに行っても英語が話されているのだから英語になるのは当然。実際「にほんごは、にほんで話すんでしょ?」とか、ここはカナダだから英語で話せばいい的なことを言われ、面食らってしまった。明らかに有用性の高い言語を選んでいるらしい。

たとえば、日本人のグループ(大人)のなかに連れていって、しばらく私たちの日本語会話を聞いているうちに、エリックの会話にもいつもより日本語が増える。あるいは、日本語で行われる講演会に連れていくと、日本語で会話をしようとする。つまり、言語環境によって自動的に頭が切り替わっているようなのだ。ただ、私ひとり相手ではそうはならず、いろんな人から日本語を浴びるように聞くことが条件らしい。・・・やっぱり日本語のデイケアの効果は期待できそうである。