「大きくなって学びたいと思えば、そのときに中国語を始めればいい」
というのが両親の思いである。( まわりの人はあれこれ言うけれど・・・http://mybilingualchild.blogspot.com/2009/07/blog-post_27.html
私と夫はというと、エリックをバイリンガルとして育てることは当然のことで、それに関して話し合いをしたことも、あれこれ議論した後に「では、バイリンガルで行こう!」と2人が合意した記憶すらない。
育児に関する私のよきアドバイザーである数人(パブリック・ナースのシャーリー、私が以前見てもらっていたドクター・マッソン(偶然、近所に住んでいる)、さらにプロのドゥーラでペルー出身の友人ドミ)もまた、エリックがバイリンガルで育てられるのは当然という認識で、「日本語をしっかり教えなさい」といつも言われ、日本語での語りかけについてネガティブなコメントをされた経験はまったくない。
バイリンガルで育てるか、モノリンガルで育てるか。
子どもが生まれたら、各家庭ではそれぞれの事情を考慮しながら、その選択を迫られることになる。暮らしている場所の言語環境、両親の言語や家族構成、両親の考えや希望など、バイリンガルかモノリンガルで育てるかを決める要因はさまざまである。
周囲を見わたしても、文化的アイデンティティを与えるために親の継承言語を教える両親、「自分の継承言語以外だと自分の思いをストレートに伝えにくい」と言う両親、「早くたくさんの友達を作って、この国の文化に溶け込んでほしいから…」いった理由など、それぞれの思いが透けて見えるようでなかなか興味深い。
私たちに関していえば、エリックには祖父母(夫および私の両親)と会話が成り立つようにあってほしいと強く思っているからである。恐らくこれが最も大きな理由であろう。
私の両親は、夫との結婚に最初は反対だった。今では、両親は夫を受け入れているという以上に、非常に温かく家族の一員として接してくれている。夫はことあるごとにそのことで両親には非常に感謝していると言っているし、私も同じ気持ちである。なので、私たちの子どもにはどうあっても彼らとコミュニケーションを図れる道具を与えてあげたい。エリックが大きくなってからの反応はさて置いて、私としては彼が小さいうちはできるだけのことをして、バイリンガルとして育てていこう。それは私の強い決意となり、「エリックの唯一の日本語教育係り」としての自分の役割を深く認識するようになった。デイケア(託児所)にフルタイムで預ければ、その間はすべて英語環境となるわけで、英語の方が自然と強くなっていくのは目に見えている。カレッジに戻る時期を先送りしたのも、働きたい気持ちを抑えられているのも、すべて「できる限り日本語環境を与えてあげるため」といっていい。
もちろん、その後、バイリンガル教育に関する資料を読むうちに、バイリンガルであることの利点を知るようになり、その知識は時にくじけそうになる「日本語教育係り」を大いにはげましてくれていることは確かである(バイリンガルであることの利点http://mybilingualchild.blogspot.com/2009/07/blog-post_5717.html
ひとつ明らかなのは、トロントという英語モノリンガル環境で暮らす私たちにとっては、日本語はマイノリティ言語であり、だからこそ日本語を教える私の役割が重要になってくる、という事実である。言葉の習得に関してあれこれ言っているのは絶対的に私の方で、英語話者の夫は、とくに意識的にバイリンガルで育てている、という感覚はない。もうちょっと英語の本を読んだり、アルファベットを教えたりしてほしいと私は思っているけれど、散歩に行ったり、ピロー・ファイト(枕を投げ合って喜んでいる!)をしたりして2人はいつもキャッキャ言っている。ま、疲れさせてくれるのはいいんだけれどね…。
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