Thursday, July 1, 2010

bits連載コラム 第5回 我が家の場合

さて、これまで「モノリンガルで育てるか、バイリンガルで育てるか」についていろいろと書いてきたが、今回は私の立場を述べてみよう。

ひとことで言うならば、私はドクター・ホイと同様、子どもに2言語を教えることは、「親が子どもに贈れる最大のギフト」だと思っている。でも、我が家のバイリンガル教育はこのポジティブな考え方が動機になっていたわけではなく、最初は次のような、どちらかというとネガティブな動機から始まった…。

マジョリティ言語(英語)話者とマイノリティ言語(日本語)話者で構成される我が家では、以前にも述べたように、エリックをバイリンガルで育てるかどうかについて話し合いをしたことも、議論の末に「では、バイリンガルでいきましょう!」と合意した記憶もない。では、2人とも暗黙の了解として、日本語・英語の両語を教えたいと考えていたかというと、そうでもなくて、私の方は最初からエリックと英語で会話するなど考えられなかった(私の英語の発音を教えていいものか?)、夫の方はというと、日本語会話は日常会話レベルなのでこれも考えられなかった…というのが最も正確な表現になる。

私に関していえば、発音の問題はさて置いても、英語文化の子ども向け歌やお話はよく知らないし、成長した子どもとたとえば議論になったとき、第二言語での議論は私には不利だし、私の著作を読んでもらえないのはかなり残念だし・・・といったマイナス思考でエゴイスティックな理由もあった。しかし、何よりも、英語を第二外国語として学び(あるいは教え)、書くことで生きてきた私にとっては、自分の思いや思考を表現するのに最もしっくりくるのは日本語以外にはありえないという認識が強かった。

また、日本語を教えるという決断は、私の両親に対する思いが反映されてもいる。最初は結婚に大反対だった両親は、やがて時がたつにつれ、夫のことを「外国人」ではなくてひとりの人間として受け入れ、言葉の壁やイデオロギーの違いを超えて深くつながりあうようになった。両親とエリックがお互いに与え合えるものの可能性を、言語ゆえに、私の決断ゆえに切り離したくはなかった。エリックに日本語を教える決断は、私の両親に対する感謝の気持ちと愛情の表現でもあった。

反対に、移民家庭に見られるような文化や文化的アイデンティティの継承という問題は私にとっては重要ではなかった。むしろ、私は子どもには日本人/カナダ人という限定されたアイデンティティよりも、global citizenとしての意識をもって育ってほしいという願いがあり、バイリンガル/マルチリンガルはこの思いにも符合する。

知人サラの家庭では、スペイン語を教えるのに、スペイン語話者のナニーを雇っている。サラもドゥーゴもビギナーレベルのスペイン語しか話さないからである。一方、我が家は何もせずとも自然にバイリンガルで育てられる環境にあるわけで、それぞれが最もしっくりくる言語を使って子どもに話しかけることが、夫にとっても、私にとってもいちばん自然で快適な決断なのだった。

かくして、我が家では、夫は英語、私は日本語で子どもに話し、3人の会話は英語というのが自然な流れとしてできたわけである。

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