Wednesday, July 22, 2009

「バイリンガルの子ども」とは?


実は堂々と言えるわけではないが、履歴書を書くときには必ず「Fluently Bilingual both in Japanese and English」と入れる。カナダに来て10年になる今、読む・書く能力に関しては問題ないと思っているし、オーラル・コミュニケーション(会話)の点でもとくに困ることなくやっていけると思う。

とはいえ、私自身、「バイリンガル」であるとは思えない。今もってLとRの違いが聞き取れない、うまく発音できない、Thの発音が疑問・・・、といった主に「発音」の問題に悩まされている(先日もスーパーマーケットでWhere can I find a bag of flour?とスタッフに聞くと、Flower? We don’t carry them.と言われてしまったし・・・)。

私の英語はどこまで行ったって「外国人の英語」であって、時折、ふと浮き上がる「たとえ一生この地に暮らしたって、ネイティブの英語話者と同じレベルで政治や文学を討論したりできないのだ」という思いに一瞬、悲しみを感じることも多々ある。ま、当然といえば当然で、私が育ってきた環境はバイリンガルになるような環境ではなかったのだ。

しかし、エリックは違う。家では異なる言語を母国語とする両親に育てられ、外では英語環境に浸かり、さらには国境が意味をなさないようなグローバライゼーションの時代・・・と、バイリンガルとして育つ要素が自然と、ふんだんに揃っている。

このブログでは「バイリンガルの子ども」あるいは「バイリンガル話者」とは、私のような、単一言語環境で育って、後から第二言語を習得した子どものことではない。あるいは、英語・日本語の日常会話は問題なくこなせるが、ひとつの言語での読み書きは不可能、という子どものことではない。私がエリックになってほしいと思っている「バイリンガルの子ども」とは、私が母国語として使える日本語レベルの言語能力をふたつの言語で(この場合は日本語と英語)こなせる子どものことである。

思うに、最も高度な言語能力として考えられるのは、詩を書く能力、小説を書く能力だろう。それを両方の言語でできるほどのレベルにエリックを育てたい、というのが(ともに活字中毒の)私と夫の共通の願いである。言語を自在に操ることができる「自由」を、それに伴って培われる他の能力を与えたい。私が子ども時代を過ごした環境とは違い、偶然にもバイリンガルとして育つ環境に生まれたエリックに、そのチャンスを最大限生かせる環境を作ってあげたいと、未だに第二言語で四苦八苦している私と夫は思っているわけである。

No comments:

Post a Comment