最近、怖いなーと思うことがある。
子どもって本当に直接的に親の影響を受けるものだということに気付いた。
私や夫の持っている価値観がそのまま何のフィルターにもかけられず、エリックに届く。それをまたエリックは他の人に言ったりする。
たとえば、私は木が大好きで、けっこうたくさん木の名前を知っていたりする。そして、木が切られているのを見るととっても、とっても悲しくなる。
デイケアに行く道々、トロント大学の敷地を通るのだけれど、昨日、そこで木が何本も切られていた。工事が始まって、小さなガーデンもつぶされていた。それで、私は思わずこう言った。
「木は何百年もかけてあんなに大きくなったのに、人間は一瞬にしてそういうものを壊してしまう。マミイはそんな風景を見るとやってられないわ」
エリックはまたまた「なんで木を切るの?」「なんで壊してるの?」と聞いていた。
迎えに行った夫は、帰ってきてからこんな話をした。
エリックが帰り道、「あの道は通りたくない」と言ったという。理由を聞くと、「木が切られているから」だと言い、エリックはI think it is silly to cut trees because it took a long time to grow. I think they are bad people.と言ったという。
こうやって静かに私の言うことを聞いていて、マミイと自分との差別化ができていないから、マミイの意見をそのまま受け入れているのだ。たとえば、小さい子供が差別的な表現を使ったり、あるグループの人たちに対してネガティブな表現を使ったりするのは、大抵、親のすることを真似ていることが多い。自分の親しい大人と自分との差別化ができないのは、一時的なことだし、成長の過程でもある。同時に、このくらいの子どもたちは自分でものごとを「判断したい」という願望、意見を言いたいという願望があるのだと、エリックを見ていて最近思う。こうした願望と無差別化が一緒になると、最悪の場合は「小さな人種差別者」になる可能性だってある。だからこそ、私たち大人は、小さな子どものいる前では言葉遣いに注意をする必要があるし、行動にも注意をしなくてはならない、とつくづく思う。
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