Friday, February 15, 2013

バイリンガルの赤ちゃんは器用に2言語を処理している

両親の母語が違う家庭では、バイリンガル環境で育つのが当たり前だし、それが子どもの成長にポジティブな影響を与えるものと当然のように思っていた私は、「20年ほど前はトロントでも教師やナースはバイリンガル家庭の両親に英語だけで育てるように忠告していたものよ」というパブリック・ナースの言葉を聞いて耳を疑ったものだ。



そうした専門家の「ユニリンガルがいちばん」的アドバイスの背景には、「バイリンガルで育てられた子どもは言語的に混乱し、知的発達に遅れを来たす」という理解があったと聞いてますます驚いた。



今日では、バイリンガル/マルチリンガル環境で子どもを育てることの利点を裏付ける研究結果がどんどん出てきている(ちなみに、バイリンガル研究においては世界でもトップクラスの研究者の多くはカナダ人である)が、また新たな研究結果が報告されたと昨日のThe Globe and Mail紙は報じている。

参照)
Bilingual babies not overburdened by demands of two languages
Ivan Semeniuk The Globe and Mail, Feb.14, 2013
http://www.theglobeandmail.com/technology/science/bilingual-babies-not-overburdened-by-demands-of-two-languages/article8709810/


The Globeによれば、University of British Columbiaの心理学者Janet WerkerがNature Communicationsに発表した論文では、バイリンガル/マルチリンガル環境で育つ赤ちゃんは構文構成の全く違う言語も自然に聞き分けることができるため、言語をまぜこぜに聞いて頭のなかが混乱しているとは言えない、と結論付けたという。



これは今までのバイリンガル研究の流れと大筋で合意している研究結果で、人間には生まれながらにして言語を認識する装置が備わっているとするチョムスキーの学説を裏付けるものであるし、人は話し始める前にすでに言語を記憶しているとする定説に沿ったものである。McGill Universityの著名なFred Geneseeは、この研究結果を受けて、「モノリンガルはもとから備わった言語能力を十分に活用していないという一般理解」があると言っている。



こうした能力が既に備わっている人間の赤ちゃんって本当に驚異的だし、私たち親がすべき教育というのはこうした人間に備わった能力を十分に引き出せる環境を作ってあげることに尽きるのね、とこの記事を読んで改めて思った。

Sunday, February 10, 2013

最近の様子(5歳8ヶ月, Feb, 2013)


近所のお寺の老猫。「猫」とか「魚」という漢字の書かれたちゃんちゃんこ着用

問題は私にもあるのだとつくづく思う。エリックの日本語が伸びていない理由を考えてみるとそう思うのだ。

もっと、私が日本語を強いなくてはならない。

それから、何か込み入ったことを説明するとき、口論するとき、お説教するときには英語の方が便利がいいのでそうしているのだが、これを何とかしなくてはならない。でも、エリックの日本語の理解度を考えると、こちらは本当に難しい。

一方でエリックの方はどうかというと、「日本語でね」と言うと、「はい」と快諾して日本語を使おうと努力する。エリックの日本語は「です・ます」体の非常に丁寧な日本語で、この年齢の日本の子どもたちの話し方とはかなり違っている。


・主要言語は引き続き英語(反省・・・)

・私とエリックの会話は私(日本語)、エリック(英語+日本語)。「日本語で!」にはしばらくがんばって応える

・ふと気付くと「あれ、吃音はどこに?」というほど出なくなった

・英語の語彙がメキメキ増えている。知らない単語があるとすぐさま「~って何?」と聞く。その後、使ってみようとする。

・英語は過去形、単数・複数形、代名詞、所有名詞などをおよそ正しく使っている。過去形(winの過去形wonがwinedになったり、buyの過去形boughtがbuyedになったり)や比較級の使い方(more bigger)、所有格(mineのmines)などが主な間違い(継続)

・文字を読む練習を自分でしている。書いている文字を音声で読もうとすることが増えた(英語)

・とにかくよくしゃべる。「ちょっと静かに!」と何度も言われている

・夫と私の議論が白熱すると、自分も入ろうとしてExcuse me, guys, let me speak!と前置きし、全く関係のない話題で飛び込み参加する

・ウクレレのコードを練習中(一緒にやっている夫がかなりの上達度!)

・大文字山に何度も登る。山登りをしながらもベラベラしゃべるので、何度も注意される

・おふろに入りながら歌をよく歌っている

・「すごろく」と「しりとり」、「じゃんけん」に夢中。私も夫もよく「相撲」の相手をさせられる

・食べるのに時間がかかる。しゃべっているか、すぐにテーブルを立とうとする(デザートは早い)

・食後にテーブルを拭く、木への水やりという仕事が与えられ、喜んでやっている

・好きな食べ物は「ピッツァとミートボールと手巻き寿司」らしい

・ネコを飼うことに決めたらしい。「今は飼えないけれど、いずれ」というのも理解している。「ネコがほしい」、「ネコがいてくれたら!」とよく言っている

・合気道レッスンつづく。礼の仕方もちょっと違う・・・

Friday, January 25, 2013

絵本批評:「ふたりはともだち」アーノルド・ローベル

「ふたりはともだち」
アーノルド・ローベル 三木卓訳  文化出版局
ふたりはともだち (ミセスこどもの本)
最近、エリックがはまっているのが、アーノルド・ローベル。

1970年に書かれたこの本はかなり古いし、絵や日本語の本の装丁も古さが残るのだが、こういう本は長年読まれてしかるべきだと思う(それにしても、文化出版局はよい翻訳絵本を出しているし、翻訳の質もいい)。

ローベルの本は本当にユニークだ。他の本もそうだが、奇想天外な話から、思い違いや勘違いからのお話など、あれれ・・・という不思議な話もある。私たち大人の感覚からするとちょっとずれているようだけれど、エリックは非常に喜んでいるし、私も何度も読むうちにとっても好きになった。

これは「かえるくんとがまくん」シリーズのひとつで、本のなかには5つのおはなしが入っている。私たちは一冊読むのは大変なので、毎晩、2つか3つのおはなしをエリックに選んでもらって、読む。でも、このなかでエリックが好きなのは「すいえい」と「なくしたボタン」。私もそうだ。「ボタン」では、がまくんとかえるくんが散歩にいって帰ってくるのだが、がまくんがジャケットのボタンを落したことに気付く。かえるくんはもときた道を戻ればいいさ、といってふたりはもときた道を戻っていく。いくつかボタンを見つけたり、ひろってくれる動物がいたりするのだが、どれもこれも違う。最後にがまくんは怒って家に帰るのだが、ドアを閉めたとたん、そこになくしたボタンを発見する。がまくんはかえるくんに迷惑をかけてしまったことを思い、拾ったボタンをぜんぶ上着にぬいつけて、かえるくんにあげる・・・というお話。



とにかく「ふたり」の関係がおもしろいし、心あったまるし、ちょっとぼけてる風ながまくんも実はすごく人間的に(というか、かえる的に)強いところがあったり、と、いろいろと細部まで楽しめる、奥の深い本だと思う。

絵本批評:「このよでいちばんはやいのは」

「このよでいちばんはやいのは」

ロバート・フローマン原作 天野祐吉翻案
福音館書店
このよで いちばん はやいのは (かがくのとも絵本)
エリックにはいささか早いか、と思いながら将来のエリックと私のために買った本。

この本は「はやい」というのが「何かに比べて」であることを明かした後、うさぎやかめから、どんどんはやいものを出してくるのだが、最後にいちばんはやいのは私たちの想像力だということになっている。


でも、正直言って、音までは何とかなったけど、地球の自転の早さとか、公転の早さというところにいくころにはもう私の想像力がつきかけてきて、ヒャ~!っという感じになってしまった。なので、最後に「想像力」となったとき思わず「こりゃいかん!」と思ってしまった。

「比べる」というのは子どもが成長して持つことになる科学的な力のもとになると思う。なので、こういう本はありがたい。なかなかいい本だとおもう。

子どものすごい記憶力-それは実は集中力

話には聞いていたけれど、子どもの記憶力ってほんとうにすごい!

何度も読んでいる絵本の文章を、私はあまり覚えることもないのだけれど、子どもは覚えていて私が読む前にもう言ったりする。それも一字一句まったくそのまま! 


ひとつにはそれが絵本の力なんだと思うが、子どもは集中力がその原因なんではないか。絵本を読んであげているとき、ふと見るとエリックはまさに「全身全霊をもって」本に没頭している。絵を丹念に見ながら、私の言葉を待っている。私も本は好きなので分かるのだが、本のなかに入ったら、もうそこが100%世界になってしまう、という感覚。


「文字が読めるようになって、自分で本が読めるようになると、本当にそれはすごいのよ」と私は自分の経験からエリックに何度も言っている。自分で本が読める、ということを実感したとき、小さいころの私はまさに「世界には果てがないんだ!」というふうに感じた。あのとき感じた安心感は今も忘れない。

「ここにいて、ここにいない」状態から抜け出そうと、目の前にあるものに意識を100%集中させる、という仏教の教えに沿って長いあいだ毎日座している私だが、それを子どもがいとも簡単にやっているのを見ると、何といっていいか分からないのよね・・・。

Saturday, January 19, 2013

最近の様子(5歳7ヶ月, 1, 2013)

Kitano Tenmangu, Kyoto
新年、エリックは北野天満宮に行って新年の抱負を絵馬に書いた。ひとつはウクレレが上手になること、ふたつ目は自転車を上手に乗れるようになること、最後は人の話を聞くこと。あれ~、日本語は?? もう書くスペースもなくなっていたので、日本語は私の新年の抱負になってしまった。いわく「私といるときは、エリックには可能な限り日本語で受け答えさせること」。こんな簡単なことを今まで怠っていた私が何より悪いのだ。あと数ヶ月しかいないだろう日本。がんばって日本語をやろう!



・主要言語は引き続き英語(変化ないなあ・・・)

・私とエリックの会話は私(日本語)、エリック(英語+日本語)。夫とはもちろん英語。私に対しても英語で話すことが多くなってきたので、「日本語で!」と頻繁に伝える

・吃音はめっきり減った。もうあまり気にならない

・英語の語彙がメキメキ増えている。知らない単語があるとすぐさま「~って何?」と聞く。その後、使ってみようとする。いい感じ!

・英語は過去形、単数・複数形、代名詞、所有名詞などをおよそ正しく使っている。過去形の間違いがたまにある(winの過去形wonがwinedになったり、buyの過去形boughtがbuyedになったり)(継続)

・比較級の使い方(more bigger)にも間違いがある(継続)

・所有格mineがminesになっている(継続)

・文字を読む練習をしている。音声から文字への置き換えを練習中(英語)

・日本語の文字を見ながら形を真似することもある。でも読めない(当たり前か、教えてないものね)

・はじめてのおせち、初詣、お年玉を経験する。京都では北野天満宮、平野神社、稲荷大社におまいりする。おみくじの結果は末吉

・ウクレレ練習中(サンタからのプレゼント)

・歌をよく歌っている。クリスマス以降、いまだにMommy kissing a Santa Clause`ばかり歌っている

・「すごろく」と「しりとり」に夢中

・食べるのにかなり時間がかかる。しゃべっているか、すぐにテーブルを立とうとする

・食後にテーブルを拭く、木への水やりという仕事が与えられ、喜んでやっている

・甘いものに対する「食い意地」が張りすぎて、ときに恥ずかしい思いをさせられる

・最近のお気に入りの遊びは「自転車」。二条から上賀茂神社までもすいすい行く

・合気道レッスンつづく。12月には黄帯をもらい興奮

Saturday, January 5, 2013

はじめての日本のお正月+今後、私との会話はすべて日本語で!

初めてのお正月と初めてのおせち料理
年末年始は広島の私の実家で過ごす。そういえばエリックにとっては初めて過ごす日本のお正月。平素はテレビのない暮らしなので、じいじ・ばあばの家では早速BSのネイチャーショーに釘付け。

新年には、会う人から「あけましておめでとうございます」と言われてびっくりするが、しばらくすると自分から「おめでとうございます」と言うように(そのあとこっそり「なんで、おめでとう、なの?」)。



初詣(お賽銭投げが楽しかったらしい)、おせち料理とお正月を満喫。

しかし、ふとあるとき、じいじ・ばあばとの会話がかなり難しくなっていることに気付いた。昨年9月、KISに行き初めてからずっと英語中心の生活になっている。日本にいながら日本語を話すのはほぼ私のみ、という驚くべき状況になっていることを改めて認識(そして、焦った)。私も「ま、ここは日本だから」という安心感からか、最近はエリックが英語を話すのを許すようになってきた。私と過ごす時間も短いので、これからは「2人の会話は日本語で」と決め、帰りの新幹線のなかでエリックにそう伝える。「でも、むずかしいもん」と言うので「そうはいっても、練習しないことには何も上手にならないでしょ」と説明すると、最後は「やってみる」と納得。



京都に帰り、北野天満宮にお参りをした際、エリックは絵馬に3つの「目標」(「お願い」ではなく)を書いた(実際は私が書いたんだけど)。ウクレレを上手にひけるようになること、自転車を上手に乗れること(もうすでにかなり上手だと思うけれど)、最後は人の話を聞くこと。夫も自分の目標を書き、ふたりはそれを奉納するかわりに家に持って帰った。各自、自分の「オフィス」に置いて日々、その目標に近づいているのか確認するという。確かにね、カナダ人の言うことにも一理あって、他力頼みではなく自らが努力しないと何も変わらない、ということなのね・・・。