Wednesday, November 3, 2010

bits 連載コラム10回 日本語を教えるのは私しかいない、という思い

9月、エリックは3歳3ヶ月にしてフルタイムでデイケアに行くことになった。言い換えれば、生まれて初めて100%母親の私のケアから離れて、Institutionalizedされた場所へと出ていくことになったわけで、3年間という期間を一緒に過ごしてきた私にとって、感慨は深い。

この3年間、私にはまとまって「仕事」をする時間がなかった。片手間にはやってはいたけれど、いつも隣の部屋で泣き声がするんじゃないか、「マミイ!」と呼ばれるんじゃないか、と思うと、以前のように時が経つのを忘れて無我夢中で書き物や勉強に没頭することはできなかった。そういう時が戻ってきて、正直、非常にうれしく思っている。

とはいっても、エリックと過ごしたこの3年間は、貴重な時間だった。Eがいなかったらできなかっただろう、というようなことをたくさんしてきた。公園やカフェで見知らぬ人に話しかけられたり、親切にしてもらったり、犬を触らせてもらったり(私、本当は犬はキライなんだけど)、他の母親と会話をするなかで、いろんなことを学んだ。エリックがいなかったら、こうして路上で見知らぬ人に刺激を受けるってこともなかっただろう。

それに、雪が降っても、雨が降っても、風が吹いても、毎日のように散歩に行くなかで、あることに気付いた。私って、本当に自然のなかを歩くのが好きなのだ。でも、子どもと歩くともっと楽しい。というのも、彼はいろんなところで立ち止まり、虫や花や、雪のかたまりや、石やらをじいっと観察しては、私に普段は忘れてしまいがちな、「自然の小さきもの」「名もなきもの」について教えてくれるからだ。

さらに、最近は、おかしなことを言って笑わせてくれる。おかしなことを言ってるわけではないのだけれど、彼が彼なりにあっちやこっちやの知識をつなぎあわせながら、自分の世界観を構成しようとしているなかで、私たち大人にとっては不可思議なことや勘違い、関連が見つからないことを言っているだけなのだ。そうした会話のなかで、私はいかに自分が画一的な考えしかできなくなっているかを、自分の想像力の広がりを自ら封じ込めていることを痛感することも多い。「あー、そういう色の混ぜ方はしないの」と言った私に、「どうして赤色と青色と緑色を混ぜちゃいけないの?」ときょとんとして訊ねるエリックを前に、「濁る」=「悪い」という私の判断基準に、私は束縛されてはいまいか、という疑問を感じたこともままある。

「なんで?」「何なの?」の繰り返しのなかで、日に日に上手にしゃべれるようになってきた私の3歳児。「会話をしているエリック」の姿には、親として大きな誇りを感じる。何しろ、会話はいまだ90%が日本語。そして、その日本語はほとんどが私との会話のなかで学ばれてきたのだ。つまり、私こそ彼にとっては最大の日本語リソースなのだ。3歳になるまでデイケアに入れないという決断は、ある意味では私を苦しめたけれど、エリックと可能な限り多くの会話をしてきたという満足感を、エリックがデイケアに行くようになってから感じている。この土台のうえに、私はこれからも日本語インプットを続け、エリックが今後、デイケアに慣れ、友達をつくりながら、英語の世界に出ていく姿を見守っていきたいと思っている。

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