エリックが2歳になった頃のこと。近所のプレイグラウンドで、子どもたちが歓声を上げて遊んでいるスライドやスウィングには興味を示さず、相変わらず周囲でひとり虫や花や石を見ているエリックを眺めながら、リチャード(4歳)のお母さんクリスティーナがこう言った。
「エリックはどうもシャイな子のようね」
そして、「実はね、リチャードもトロントに来たときはシャイだったのよ」と言ってこう話し始めた。
中国からやってきた彼女の家族は、リチャードが他の子どもたちと遊ぼうともせず、ひとりポツンと離れているのを見て、それがことばのせいではないかと心配し始めた。英語がまったく理解できないリチャードに、少しでも早く英語を習得してほしいとの願いから、その後は家庭内での言語を英語のみと決めると、半年ほど経ったころから、リチャードは積極的に他の子どもたちと遊ぶようになったというのだ。
そして、彼女はこのエピソードを次のような言葉で締めくくった。
「だから、あなたもエリックに周囲に溶け込んで欲しかったら日本語をやめて、英語にするといいのよ・・・」
その言葉に、私はガーンと頭を殴られたように感じたのだった。私がエリックに日本語を教えようと思う理由は、ほんの2分や3分で語りきれるものではない。私はクリスティーナのいわゆる「アドバイス」に対する反対意見を、それまで拾い集めた情報に基づき「歴史的視点に立って」、あるいは「言語学の研究結果にもとづいて」延々と語り、何とか怒りを爆発させずに済んだのだが、そうしながらも「どうして私はこんなに気分を害しているのだろう」と自分の感情が不思議でならなかった・・・。
あのとき、あんなに苛々させられたクリスティーナとの会話には、実は今も感謝している。あの会話をもとに、母語に対する私たちのアタッチメント、あるいは現在も「バイリンガル教育」に対する多様な意見があることなど、さまざまなことに思いが巡った。私が子どもに日本語で話している理由があるように、クリスティーナ家族にとっても家庭内の言語を英語にし、広東語を断念する理由があったのだ。その決断に、移民の両親特有の、子どもに対する強い保護意識と愛情を見ることもできるだろう。そう考えると、改めて多文化環境において「子どもにどの言語を教えるか」という選択の裏にはそれぞれの家庭の事情があり、いかなる理由であってもそれは尊重されなくてはならないと思えてくるのだった。
No comments:
Post a Comment