Monday, June 11, 2012

「学校(保育園)に行きたくない!」


毎日のように「学校(保育園のこと)に行きたくない」と言うエリックを前に、夫と私は繰り返し、「恐怖/fearに向き合うこと」についての話をしている。夫は比較的わかりやすく話をしているが、私の話は抽象的でエリックのレベルにあっていないという感じがする(夫にも言われるし)。


きっと言葉の問題もあるだろう。私もトロントにはじめて行ったときには自分の言いたいことが半分も言えないもどかしさに自信を失いかけたものだ。カルチャーショックもあるだろう。はじめて見る日本の保育園の様子に戸惑いを感じるのは当然だ。


今、夫も私も「この場で自分の心のなかにあるfearに向き合うこと」の大切さを教えたいと思っている。もし、叩かれたことでその子に対する恐怖が大きくなって、自分のしたいことができなくなれば、それはあまりに悲しい。ここで園を変えるとか、逃げる場所をつくってあげれば、きっと今後、形を変えて別の恐怖があらわれたとき、対処の仕方がわからない、ということになる。生まれて初めて出会った恐怖心の正体を知り、それに対処する方法を学ぶことができれば、それは今後、エリックの役に立つに違いない、と思っている。


しかし、これを5歳の子どもに理解できるように話すのは簡単なことじゃない。夫は子どもにわかりやすいレベルにもってくるように比喩を使って上手に説明している。聞いているエリックも納得できるように見える。


私の見る限り、エリックは夫から何度もそうして説明を受けるたびに、立ち向かう術があることに気付くのだが、すぐに忘れるのかそれを何度も繰り返す必要がある。1日に数回、夫は同じ話をすることもある。


トロントにいたときのエリックは、毎日、喜んでキンダーガーデンやデイケアに行っていた。迎えに行くと「来るのが早すぎる!」と言ったり、週末になると「今日も学校に行きたい!」と言っていたものだ。それが、日本に来て大きくかわり、私は心のなかでちょっぴりすまない思いを感じている(すべて夫の都合で日本に来たのだから)。


ただ、日々の送り迎え担当の夫によれば、エリックはもちろん「喜んで」というのではないものの、保育園に行くまでぐずったりはしないし、泣いたりもしないという。それに迎えに行くころには、お友達と楽しそうに遊んでいるらしい。「行く必要がある」というのは理解しているので、すすんでではないものの、仕方なく行く、という感じだろうか。


じいじにこういう話をすると、「強くならんといけん!」と言うが、5歳の子に「強くなれ!」と繰り返すだけで、どうやったらそうなるのかを教えてなくては意味がないと個人的には思う。恐怖に向き合うこと。これは人生を幸せにするためのスキルのひとつでもある。私と夫の最大の願いはエリックに幸せになってほしい、ということ。今回のチャレンジはある意味でそのスキルを習得するチャンスだと思うので、こちらも諦めずやっていこうと思っている。

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