Thursday, July 1, 2010

bits連載コラム第4回 歴史的に見れば・・・

何につけても懐疑論者の私だが、子育てに関してある程度の信頼を置いているのは、友人ドミ(有能ナニー)、シャーリーとニルダ(public nurse, home visitor)、私のかかりつけの医師ドクター・マッソン。彼らは妊娠中の私に、ことあるごとに「バイリンガルで育てなさいね!」と言っていたが、その当時の私はといえばある叔母から言われたように「英語圏で育てば自然にバイリンガルね」という程度の理解しかなかったから、彼らのアドバイスは耳を素通りしていったことをここに告白しておこう…。

考えてみれば、今までのところ「英語だけにしなさい」と言ったのはクリスティーナだけであるし、日本語を解さない夫の両親もこの件に関しては当然のごとく受け止めている。

しかし、カナダの都市で子どもに現地の言語(英語)のみを教えることが、いわば社会の約束事であったのはわずか20年ほど前のことに過ぎない。以前、あるラジオ・プログラムで、約30年前に南米から両親とともに移り住んだ女性が、当時のことを振り返り「あのころはassimilation(同化)が何より優先で、社会の雰囲気も、児童福祉専門家も、学校の教師も、家庭の外はもとより、家庭内でもスペイン語を使うことは子どもたちのassimilationを遅らせる原因となるから、英語だけで育てるようにと指導された」と言っていた。

20年以上前にハミルトンで子育てをしていた知人は、2歳になる子どもの言葉が遅いのは、家庭内で英語と日本語を両方使っていたことが原因と思い、その後は日本語をやめてしまったと教えてくれた。当時は、市の保健局や教育専門家などもバイリンガル教育に関しての知識はほとんどなく「二言語で育てると、子どもを混乱させるだけ」という通念が社会に浸透していたが、今から考えると惜しいことをしたと話してくれた。

トロントでは、ここ20年ほどの間に人口構成が大きく様変わりし、小さな子どもが集まる場では英語以外の言語にしょっちゅう出くわす。しかし、今もアメリカの多くの地域では「バイリンガル」という言葉は「英語が満足に話せない移民の子ども」と同義であるし、ネガティブなイメージが払拭されるにはまだまだ時間がかかりそうである。アメリカ人専門家が書くバイリンガル教育関連の本には、家庭の外で英語以外の言語を話しているとネガティブなコメントを受ける可能性を指摘し、その「障害」にどう対処するか、といった項目がある。現在のトロントではそんな「障害」に遭遇する可能性は限りなくゼロに近い。公式バイリンガル国家のカナダでは、アメリカに比べると概してバイ/マルチリンガルに対しては寛容である。

エリックの小児科医ドクター・ホイは、私が日本語で話しかけているのを見ると、「バイリンガル教育・・・、それこそ親が子どもに贈れる最大のギフトだね」とにこにこしていた。今の私もそう思う。そして、それが社会的に受け入れられている時代に、バイリンガル育児ができる私は何というlucky motherだろう!と過去を振り返るたびに感じている。

No comments:

Post a Comment