Wednesday, November 24, 2010

最近の言い間違い

何度も直しているにもかかわらず・・・
「ウォールナッツ(Walnuts)」
と言いたいときは
「ドーナッツ(Donuts)」に、
「ピクニック(Picnic)」
「ピグレット(Piglet=こぶた)」
になっている。
「だいじょうぶ」も未だに「だいぶじょう」・・・。

「マミーには日本語で話してね!」

英語がどんどん強くなっているエリックだが、デイケアから帰ってきたときがとりわけその傾向が強い。
たとえば・・・
E: Mommy, you can come to my house, we can play the piano together. Do you think it’s a good idea?
私: ちょっと待って。さっきの、日本語で言ってみて。マミーには日本語で話してちょうだいね。
E: I can't do that. I don’t know how to do it.
私: マミーに話すときは日本語で話してくれないと分からないでしょ。ほら、やってみて。
E: うーん、I don’t know how to do it… おうちに来てピアノで遊ぼうね。

といった感じで、「日本語でね」と何度も言わなくてはならない。でも、あんまり続くようなら、私もエリックの英語に日本語で返すようにしている。そのうちに日本語が戻ってくるときもあれば、そのまま「私(日本語)、エリック(英語)」で会話することもある。そんなときは気にはなるけれど、あんまり事を荒立てないようにしている。

考えてみれば、2歳のときから1年ほど夫とエリックはずっとこんな感じで会話していた(夫=英語、E=日本語)。それが逆転して思ったのは、夫は何と忍耐づよくEに接していたことだろう!ということ。子育てには「一時的」がつきものだと彼は信じているからだろうし、ま、何といってもトロント=英語環境なので、いずれは英語ができるようになるのは当たり前。私に関してはちょっぴり心配だけれど、ここでへこたれずに日本語を継続的に話していこう、と思っている。

Thursday, November 11, 2010

最近の様子(3歳5ヶ月)

・英語の割合が日本語を超えた(日本語30%、英語70%)
・英語の言い間違いが続く
・私にまで英語で話そうとすることが増えた(そのたびに注意している)
・「なんでなの?」「Why, Peter?」としょっちゅう言う
・WowとかOhとかOopsとか驚きの感情を英語で表すように
・走るのが速くなって、私、ついていけない・・・
・ぐるぐる丸を描くのは続いているけれど、線のなかを塗りつぶし始める
・デイケアでは他の子どものコピーをし始めたらしい
・自分でやりたいという気持ちがとても強い
・Tシャツを自分で着たり、パジャマパンツを自分ではけるように
・コートのボタンを自分でとめられるようになった
・毎朝、アーモンドを数えて、5個ずつ私と夫にくれる
・いろんな帽子をかぶるのが好き
・夕食のあとに「デザート」を求めるように!
・ハロウィン・デビューを果たす(白衣にベレーにヒゲで画家に!)
・ハロウィン以降、チョコレートのとりこに!
・サーモンを「ピンクのチキン」と勘違いしている

Wednesday, November 3, 2010

めまぐるしい変化

つい1週間ほど前には、私にまで英語を話して困っていたものだけれど、ここ数日は私に向かったときには日本語で話しかけるという、もとの状態に戻っている。ただし、英語をしゃべるときの方が断然、Exciteしていて、たくさん話せることをみんなに知ってほしいように、でたらめまで含めて楽しそうに話している。ここで日本語を話すのをやめれば、いとも簡単に日本語を忘れてしまうことだろう。
とにかく、エリックの言語習得、1日ごとにめまぐるしく変化していて、こちらもついていくのが大変・・・。

bits 連載コラム10回 日本語を教えるのは私しかいない、という思い

9月、エリックは3歳3ヶ月にしてフルタイムでデイケアに行くことになった。言い換えれば、生まれて初めて100%母親の私のケアから離れて、Institutionalizedされた場所へと出ていくことになったわけで、3年間という期間を一緒に過ごしてきた私にとって、感慨は深い。

この3年間、私にはまとまって「仕事」をする時間がなかった。片手間にはやってはいたけれど、いつも隣の部屋で泣き声がするんじゃないか、「マミイ!」と呼ばれるんじゃないか、と思うと、以前のように時が経つのを忘れて無我夢中で書き物や勉強に没頭することはできなかった。そういう時が戻ってきて、正直、非常にうれしく思っている。

とはいっても、エリックと過ごしたこの3年間は、貴重な時間だった。Eがいなかったらできなかっただろう、というようなことをたくさんしてきた。公園やカフェで見知らぬ人に話しかけられたり、親切にしてもらったり、犬を触らせてもらったり(私、本当は犬はキライなんだけど)、他の母親と会話をするなかで、いろんなことを学んだ。エリックがいなかったら、こうして路上で見知らぬ人に刺激を受けるってこともなかっただろう。

それに、雪が降っても、雨が降っても、風が吹いても、毎日のように散歩に行くなかで、あることに気付いた。私って、本当に自然のなかを歩くのが好きなのだ。でも、子どもと歩くともっと楽しい。というのも、彼はいろんなところで立ち止まり、虫や花や、雪のかたまりや、石やらをじいっと観察しては、私に普段は忘れてしまいがちな、「自然の小さきもの」「名もなきもの」について教えてくれるからだ。

さらに、最近は、おかしなことを言って笑わせてくれる。おかしなことを言ってるわけではないのだけれど、彼が彼なりにあっちやこっちやの知識をつなぎあわせながら、自分の世界観を構成しようとしているなかで、私たち大人にとっては不可思議なことや勘違い、関連が見つからないことを言っているだけなのだ。そうした会話のなかで、私はいかに自分が画一的な考えしかできなくなっているかを、自分の想像力の広がりを自ら封じ込めていることを痛感することも多い。「あー、そういう色の混ぜ方はしないの」と言った私に、「どうして赤色と青色と緑色を混ぜちゃいけないの?」ときょとんとして訊ねるエリックを前に、「濁る」=「悪い」という私の判断基準に、私は束縛されてはいまいか、という疑問を感じたこともままある。

「なんで?」「何なの?」の繰り返しのなかで、日に日に上手にしゃべれるようになってきた私の3歳児。「会話をしているエリック」の姿には、親として大きな誇りを感じる。何しろ、会話はいまだ90%が日本語。そして、その日本語はほとんどが私との会話のなかで学ばれてきたのだ。つまり、私こそ彼にとっては最大の日本語リソースなのだ。3歳になるまでデイケアに入れないという決断は、ある意味では私を苦しめたけれど、エリックと可能な限り多くの会話をしてきたという満足感を、エリックがデイケアに行くようになってから感じている。この土台のうえに、私はこれからも日本語インプットを続け、エリックが今後、デイケアに慣れ、友達をつくりながら、英語の世界に出ていく姿を見守っていきたいと思っている。

bits連載コラム第9回 バイリンガルで育てると言語発達が遅れる?

今回のタイトルに対する言語学者や医療専門家の答えはおしなべてNOであって、彼らは「それを実証する科学的根拠は見つかっていない」と口を揃える。これは、20年くらい前までスピーチセラピストや医師の間に浸透していた「バイリンガル環境は子どもを混乱させるだけ」という意見に抗する答えと受け取ってもよいだろう。

でも、エリックが1歳半くらいのとき、バイリンガル育児をしている親たちに公園や病院で話をしてみると、「うちの子は同年代の子に比べるとちょっと遅れている」というコメントを少なからず聞いた。そのうちのひとり、非常に情報通のキャロルは、彼女と子どもはギリシア語を、父親と子どもは韓国語を、3人のときには3人の共通語である英語を話していると言っていた。そして「この状況が遅れを出していることは否めないけれど、私が調べた結果は、そのうち追いつき、すぐに追い越してゆくってものだから、心配ないの」と実に自信たっぷりに言っていた。経験からすると、私の話した多くの親が「同年代に比べると遅れているみたいだけど、それはバイリンガルで育てているから・・・」と納得していた。

エリックの場合もやっぱり遅れていた。1歳半から2歳という時期は、言葉が湧き出る時期と言われるが、エリックはあまり言葉をしゃべらなかった。パブリック・ナースからは「スピーチ・セラピストに連絡をしてみては?」と言われ、実際、そうした。でも、それが変わったのは3歳になる直前。

このころ、ちょうど日本に2ヶ月帰国したこともあって、この間、エリックは「エア・カナダに乗ったね」とか、「階段が傾いてたね」とか、まさか知ってはいないだろう、と思われるような日本語を突如としてしゃべり始めた。その様子を見ていると、これまで周囲で話される言葉をじいっと聞きながら、自分のなかに蓄えていたことがよく分かった。

個人的な性格も言語習得に影響があるということも覚えておかなくてはならない。エリックの性格からすると、まずは頭のなかにたくさんの言葉を入れ、まわりを観察しながら言葉を実際に使うまでには時間がかかっていると考えられなくもない。これは、バイリンガルで育てていようと、モノリンガルで育てていようと同じ傾向性として現れるはずだろう。

ちなみに、ある心理学者の研究結果によると、単語そのものを早いうちから使い始める子たちがいる一方で、単語そのものよりは周囲で話されている言葉のリズムやイントネーションを真似ながらバブリングを早期にする子どもがいるらしい。後者は、言葉を話すのは遅いけれど、どちらかというと記憶力がよく、言語に対する感性が備わっている場合が多い、という。「言語に対する感性」は、生まれもったものなのだろうか、というあたりも興味深い。

完全に日本語環境で暮らしている子どもに比べれば、きっとエリックの日本語の語彙は少ないに違いない。でも、その分、英語も入っているので、やはりキャロルや専門家の言うように、バイリンガルで育てられた子どもの一部には、2歳前後に一時的に同年代の子と比べると遅れが見られる可能性もあるけれど、それはほんの一時期に過ぎないのだということなのかもしれない。